1Q84 BOOK 1

「1Q84 BOOK 1」★★★★★
どこの本屋に行っても売り切れ、入荷待ち。でも予約はしないし、インターネットで注文もしない。
わたしは本屋で平積みになっている『1Q84』が欲しかった。
だから、見つけたときは手が震えた。
とにかく、村上春樹に酔っている。そして、とりつかれたように『1Q84』を貪った。
純文学がベストセラー。
この状況、もう、ここから小説がはじまっているようにさえ思う。
物語が繋がる瞬間、
「リトル・ピープル」「空に浮かぶ二つの月」「空気さなぎ」
重要なキーワードが違う次元に出現した瞬間、一気に脳が覚める。
ふかえりもアインシュタインもエジソンもチャーリー・ミンガスもディスレクシア(読字障害)だと知って、
ジョージ・オーウェルとアリストテレスを読みたくなって、
ダイキリとトム・コリンズを飲みたくなって、
ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』とバッハの『平均律クラヴァーア曲集』『マタイ受難曲』を聴きたくなった。
初潮前の少女を犯すことに喜びを見いだす男、筋骨たくましいゲイの用心棒、輸血を拒否して進んで死んでいく信仰深い人々、
妊娠六ヶ月で睡眠薬自殺をする女性、問題ある男たちの首筋に鋭い針を刺して殺害する女、女を憎む男たち、男を憎む女たち……
青豆と天吾は出会うのか?今はそれが気になって仕方ない。
BOOK2に急ぐ。
【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20090616bk02.htm
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「どうしてショウセツをかく」と彼女はアクセントを欠いた声で尋ねた。
天吾は彼女のその質問をより長いセンテンスに転換した。
「数学がそんなに楽しければ、なにも苦労して小説を書く必要なんてないんじゃないか。
ずっと数学だけやっていればいいじゃないか。言いたいのはそういうこと?」
ふかえりは肯いた。
「そうだな。実際の人生は数学とは違う。そこではものごとは最短距離をとって流れるとは限らない。
数学は僕にとって、なんて言えばいいのかな、あまりにも自然すぎるんだ。
それは僕にとっては美しい風景みたいなものだ。ただそこにあるものなんだ。何かに置き換える必要すらない。
だから数学の中にいると、自分がどんどん透明になっていくような気がすることがある。ときどきそれが怖くなる」
ふかえりは視線をそらすことなく、天吾の目をまっすぐに見ていた。窓ガラスに顔をつけて空き家の中をのぞくみたいに。
天吾は言った。
「小説を書くとき、僕は言葉を使って僕のまわりにある風景を、僕にとってより自然なものに置き換えていく。
つまり再構築する。そうすることで、僕という人間がこの世界に間違いなく存在していることを確かめる。
それは数学の世界にいるときとはずいぶん違う作業だ」
「ソンザイしていることをたしかめる」とふかえりは言った。
頭のいい十代の少女は時として本能的な演技をする。
表面的にエキセントリックなふりをすることがある。
いかにも暗示的な言葉を口にして相手を戸惑わせる。
天上のお方さま。
あなたの御名がどこまでも清められ、あなたの王国が私たちにもたらされますように。
私たちの多くの罪をお許しください。
私たちのささやかな歩みにあなたの祝福をお与え下さい。アーメン。
「それが何を意味するのか、具体的なことまではわかりません。
はっきり言って私は、その手のオカルト的なものごとに興味がまったく持てません。
大昔から同じような詐欺行為が、世界の至る所で繰り返されてきました。手口はいつだって同じです。
それでも、そのようなあさましいインチキは衰えることを知りません。
世間の大多数の人々は真実を信じるのではなく、真実であってもらいたいと望んでいることを進んで信じるからです。
そういう人々は、両目をいくらしっかり大きく開けていたところで、実はなにひとつ見てはいません。
そのような人々を相手に詐欺を働くのは、赤子の手をひねるようなものです」
時間と空間と可能性の観念。
時間がいびつなかたちをとって進み得ることを、天吾は知っている。
時間そのものは均一な成り立ちのものであるわけだが、それはいったん消費されるといびつなものに変わってしまう。
ある時間はひどく重くて長く、ある時間は軽くて短い。
そしてときとして前後が入れ替わったり、ひどいときにはまったく消滅してしまったりもする。
ないはずのものが付け加えられたりもする。
人はたぶん、時間をそのように勝手に調整することによって、自らの存在意義を調整しているのだろう。
別の言い方をすれば、そのような作業を加えることによって、かろうじて正気を保っていられるのだ。
もし自分がくぐり抜けてきた時間を、順序通りにそのまま均一に受け入れなくてはならないとしたら、
人の神経はとてもそれに耐えられないに違いない。
そんな人生はおそらく拷問に等しいものであるだろう。天吾はそう考える。
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<Book Description>
1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。
そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。
そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。
私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。
Book 1
心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。
Book 2
「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。





