2009/07/09

1Q84 BOOK 1

198420090703_

「1Q84 BOOK 1」★★★★★




どこの本屋に行っても売り切れ、入荷待ち。でも予約はしないし、インターネットで注文もしない。
わたしは本屋で平積みになっている『1Q84』が欲しかった。
だから、見つけたときは手が震えた。
とにかく、村上春樹に酔っている。そして、とりつかれたように『1Q84』を貪った。

純文学がベストセラー。
この状況、もう、ここから小説がはじまっているようにさえ思う。

物語が繋がる瞬間、
「リトル・ピープル」「空に浮かぶ二つの月」「空気さなぎ」
重要なキーワードが違う次元に出現した瞬間、一気に脳が覚める。

ふかえりもアインシュタインもエジソンもチャーリー・ミンガスもディスレクシア(読字障害)だと知って、
ジョージ・オーウェルとアリストテレスを読みたくなって、
ダイキリとトム・コリンズを飲みたくなって、
ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』とバッハの『平均律クラヴァーア曲集』『マタイ受難曲』を聴きたくなった。

初潮前の少女を犯すことに喜びを見いだす男、筋骨たくましいゲイの用心棒、輸血を拒否して進んで死んでいく信仰深い人々、
妊娠六ヶ月で睡眠薬自殺をする女性、問題ある男たちの首筋に鋭い針を刺して殺害する女、女を憎む男たち、男を憎む女たち……

青豆と天吾は出会うのか?今はそれが気になって仕方ない。
BOOK2に急ぐ。




【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20090616bk02.htm




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「どうしてショウセツをかく」と彼女はアクセントを欠いた声で尋ねた。
天吾は彼女のその質問をより長いセンテンスに転換した。
「数学がそんなに楽しければ、なにも苦労して小説を書く必要なんてないんじゃないか。
ずっと数学だけやっていればいいじゃないか。言いたいのはそういうこと?」
ふかえりは肯いた。
「そうだな。実際の人生は数学とは違う。そこではものごとは最短距離をとって流れるとは限らない。
数学は僕にとって、なんて言えばいいのかな、あまりにも自然すぎるんだ。
それは僕にとっては美しい風景みたいなものだ。ただそこにあるものなんだ。何かに置き換える必要すらない。
だから数学の中にいると、自分がどんどん透明になっていくような気がすることがある。ときどきそれが怖くなる」
ふかえりは視線をそらすことなく、天吾の目をまっすぐに見ていた。窓ガラスに顔をつけて空き家の中をのぞくみたいに。
天吾は言った。
「小説を書くとき、僕は言葉を使って僕のまわりにある風景を、僕にとってより自然なものに置き換えていく。
つまり再構築する。そうすることで、僕という人間がこの世界に間違いなく存在していることを確かめる。
それは数学の世界にいるときとはずいぶん違う作業だ」
「ソンザイしていることをたしかめる」とふかえりは言った。

頭のいい十代の少女は時として本能的な演技をする。
表面的にエキセントリックなふりをすることがある。
いかにも暗示的な言葉を口にして相手を戸惑わせる。

天上のお方さま。
あなたの御名がどこまでも清められ、あなたの王国が私たちにもたらされますように。
私たちの多くの罪をお許しください。
私たちのささやかな歩みにあなたの祝福をお与え下さい。アーメン。

「それが何を意味するのか、具体的なことまではわかりません。
はっきり言って私は、その手のオカルト的なものごとに興味がまったく持てません。
大昔から同じような詐欺行為が、世界の至る所で繰り返されてきました。手口はいつだって同じです。
それでも、そのようなあさましいインチキは衰えることを知りません。
世間の大多数の人々は真実を信じるのではなく、真実であってもらいたいと望んでいることを進んで信じるからです。
そういう人々は、両目をいくらしっかり大きく開けていたところで、実はなにひとつ見てはいません。
そのような人々を相手に詐欺を働くのは、赤子の手をひねるようなものです」

時間と空間と可能性の観念。
時間がいびつなかたちをとって進み得ることを、天吾は知っている。
時間そのものは均一な成り立ちのものであるわけだが、それはいったん消費されるといびつなものに変わってしまう。
ある時間はひどく重くて長く、ある時間は軽くて短い。
そしてときとして前後が入れ替わったり、ひどいときにはまったく消滅してしまったりもする。
ないはずのものが付け加えられたりもする。
人はたぶん、時間をそのように勝手に調整することによって、自らの存在意義を調整しているのだろう。
別の言い方をすれば、そのような作業を加えることによって、かろうじて正気を保っていられるのだ。
もし自分がくぐり抜けてきた時間を、順序通りにそのまま均一に受け入れなくてはならないとしたら、
人の神経はとてもそれに耐えられないに違いない。
そんな人生はおそらく拷問に等しいものであるだろう。天吾はそう考える。


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<Book Description>
1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。
そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。
そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。
私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。

Book 1
心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。

Book 2
「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。

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2009/07/06

センセイの鞄

Sensei20090613_

「センセイの鞄 」★★★★★
川上 弘美 (著)




すごく、今のわたしと波長が合う物語でした。

日常を、静かに、淡々と、味わい尽くす

この生き方が最近のわたしのマイブームなのですが、先日、最近知り合った20代前半の男の子に「手をたたいて笑うほど大笑い
をしたことがあるのか」と問われ、びっくりしてしまいました。
そんなに感情を表に出せないように見られていることが、ちょっぴりショックで、ちょっぴり新鮮でした。

ツキコさんと、センセイ

居酒屋で偶然再会したセンセイはおじいちゃんで、名前すら覚えていなかった。
だから「センセイ」と呼んだ。

40歳手前のツキコさんと、ツキコさんの30歳上のセンセイ

酒の肴の好みが同じで、センセイの前ではわがままなこどもになる。
静かにじわじわと内側からあたたまっていく、少しずつ、好きになる。

この本は一生手元に置いておこう。




  年齢と、それにあいふさわしい言動。
  小島孝の時間は均等に流れ、
  小島孝のからだも心も均等に成長した。
  いっぽうのわたしは、
  たぶん、
  いまだきちんとした「大人」になっていない。
  小学校のころ、
  わたしはずいぶんと大人だった。
  しかし、
  中学、高校、と時間が進むにつれて、
  はんたいに大人でなくなっていった。
  さらに時間がたつと、
  すっかり子供じみた人間になってしまった。
  時間と仲よくできない質なのかもしれない。




内容(「BOOK」データベースより)
「センセイ」とわたしが、過ごした、あわあわと、そして色濃く流れゆく日々。

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女生徒

Dazai20090613

「女生徒」★★★★☆
太宰 治(著)




1938年9月に女性読者有明淑(当時19歳)から太宰のもとに送付された日記を題材に、14歳の女生徒が朝起床してから夜就寝
するまでの一日を主人公の独白体で綴っている。
思春期の少女が持つ自意識の揺らぎと、その時期に陥りやすい、厭世的な心理を繊細な筆致で描き出し、当時の文芸時評で川端
康成たちから激賞され、太宰の代表作の一つとなった。(Wikipediaより)

女性の独白。14編。うつくしい日本語。




  パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。
  濁って濁って、そのうちに、
  だんだん澱粉が下に沈み、
  少しずつ上澄が出来て、
  やっと疲れて眼がさめる。
  朝は、なんだか、しらじらしい。
  悲しいことが、
  たくさんたくさん胸に浮かんで、
  やりきれない。
  いやだ。いやだ。
  朝の私は一ばん醜い。
  両方の脚が、くたくたに疲れて、
  そうして、もう、何もしたくない。
  熟睡していないせいかしら。
  朝は健康だなんて、あれは嘘。
  朝は灰色。いつもいつも同じ。
  一ばん虚無だ。
  朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。
  いやになる。
  いろいろ醜い後悔ばっかり、
  いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、
  身悶えしちゃう。
  朝は、意地悪。

  自分から、
  本を読むということを取ってしまったら、
  この経験の無い私は、
  泣きべそをかくことだろう。
  それほど私は、本に書かれてある事に頼っている。
  一つの本を読んでは、
  パッとその本に夢中になり、
  信頼し、同化し、共鳴し、
  それに生活をくっつけてみるのだ。
  また、他の本を読むと、
  たちまち、
  クルッとかわって、
  すましている。
  人のものを盗んで来て自分のものにちゃんと作り直す才能は、
  そのずるさは、
  これは私の唯一の特技だ。
  (女生徒)




出版社/著者からの内容紹介
女性の独白形式による書き出しではじまる作品を収めた。
昭和十二年から二十三年まで、作者の作家活動のほぼ全盛期にわたるいろいろな時期の心の投影色濃き女の物語集。

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2009/07/05

最高の人生の見つけ方

Saikou20090626

最高の人生の見つけ方 」★★★★☆
出演: ジャック・ニコルソン, モーガン・フリーマン, ショーン・ヘイズ, ロブ・モロー, ビバリー・トッド
監督: ロブ・ライナー




恋人と映画を観ることにした。
映画の趣味が違うので、いつもTSUTAYAかGEOで3回勝負のじゃんけんになる。
そして、負けた。
借りたのは『最高の人生の見つけ方

『死ぬまでにしたい10のこと』同様、余命を宣告され、リストを作成する。
その名も「The Bucket List(棺おけリスト)」

そのリストの中の「世界一の美女にキスをする」で泣いてしまった。

ジャック・ニコルソンもモーガン・フリーマンも演じているんじゃなくて、この時、この映画の中でしっかり生きていた。




内容紹介
余命6ヶ月、一生分笑う。

「恋愛適齢期」ジャック・ニコルソン X「ショーシャンクの空に」モーガン・フリーマンが
男の人生と友情を、明るく優しく描いた感動のヒューマンドラマ!
- Marshall Fine, Star Magazine


一度きりの人生なら、華々しく生きようじゃないか。

大金持ちの豪腕実業家(ジャック・ニコルソン)と、勤勉実直な自動車修理工(モーガン・フリーマン)。
一見接点のない二人が、ガン病棟の一室で出会った。
余命を宣告された時、彼らが作ったもの——それは棺おけリスト。
棺おけに入る前にやっておきたいことを記したそのリストを携え、二人は生涯最後の冒険旅行に出掛ける。
スカイダイビング? チェック。
憧れのスーパーカーでレーストラックをぶっ飛ばす? チェック。
ピラミッド見物? チェック。
人生の喜びを味わい尽くす? チェック!
リストがひとつずつ実現していく中、望むものは何でも手に入れてきた男が、本当にほしかったものとは?
家族のために夢をあきらめ続けてきた男が、最後に見つけた幸せとは?

ロブ・ライナー監督による鮮やかなタクトさばきの下、稀代の名優二人がニュアンス豊かに歌い上げる生の賛歌。
人生を悔いなく楽しく生きるのに、遅すぎることなど決してないというメッセージが心に響く、感動の物語。

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2009/07/03

明日があるさ

Shigemat20090613_

「明日があるさ」★★★★☆
重松 清 (著)




そうか、重松清の斜に構えた切り口は、決して割り切ることの出来ない物語、「余り」を書いているからなんだ。
小説を書くきっかけがあまりにも悲しすぎる。
事実を受け止めきれなくて、アウトプットをしなくてはならなくなった人が書いた物語は、心が震える強さを持っている。




  燃えかすを、
  「余り」と言い換えてみようか。
  少数や分数を学ぶ以前の、
  割り算の初歩中の初歩、
  「7割る3は、2余り1」の「余り」である。
  ぼくの書くお話には、
  必ず「余り」が点いてしまう。
  『ナイフ』も『ビタミンF』も、
  お話の表面に置いた出来事にはとりあえずケリがついても、
  根本的な問題は残ったまま、
  という構図ばかりだ。
  きれいに割り切れて答えの出るお話はなかなか書けないし、
  たぶん書こうともしていないのだろう。
  「余り」付きの居心地の悪さにこそ、
  いまの時代を生きるリアリティがあると思うから
  ……なんて言うとカッコつけすぎだけど。

  お話には必ず「余り」を付けてしまうぼくは、
  「余り」を主人公やモチーフにすることも少なくない。
  たとえば『エイジ』で描きたかったのは、
  「中学生」を「少年犯罪」で割ったときに
  「余り」になるタイプの少年たちの日常だった。
  『ビタミンF』のオジサンたちは皆、
  良き父親にならねば、
  と滑稽なまでの奮闘をつづけながら、
  理想の父親になりきれない「余り」の部分で、
  ぶざまにつまずいたり空回りしたりする。
  『定年ゴジラ』の定年組のオジサンの毎日なんて
  「余り」そのものだし、
  教師を好んで主人公にするのも、
  彼らが教室の中での「余り」だからかもしれないし、
  敵と味方の狭間に一人の少年や少女を置くいじめは、
  人間関係の「余り」が
  最も陰湿なかたちで出たものだとは言えないか?

  つまり、
  「(ぼくは殺したいのに)なぜ人を殺してはいけないのか」
  という問い。
  ぼくは思うのです。
  どうして、みんな、一言で答えようとするのだろう……。
  あまりにも有名な、
  某討論番組での大人たちの絶句シーン。
  でも、それ、
  要はその場にいた皆さんが
  一言で答えようとしたがゆえの絶句だったように思います。
  あるいは、
  模試でおなじみの「○字以内で答えよ」みたいなね。
  そんな必要、どこにもないはずです。
  ゆっくり時間をかければいい。
  いや、かけなければならない。
  なぜって、
  かつては自明の理だと思われていたこと、
  問答無用の前提だったことが、
  いま、問い直されているのです。

  父親と母親の愛の違いを問われたら、
  ぼくならこんなふうに答える。
  母親は世界中で真っ先に「おまえを愛してる」と言ってくれるひとで、
  父親は世界中の最後の最後に「おまえを愛している」と言ってくれるひと。
  ぼくはそれを、ぼく自信の両親から教わったのだ。




内容(「BOOK」データベースより)
少年犯罪、家族のあり方、教育問題、本や映画や音楽、大切な友、少年時代の思い出など、家族をテーマに作品を書きつづける
直木賞作家・重松清の原点がわかる著者初めてのエッセイ集。
単行本『セカンド・ライン』を改題し、まったく新たに構成した待望の文庫版登場。

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