明日があるさ

「明日があるさ」★★★★☆
重松 清 (著)
そうか、重松清の斜に構えた切り口は、決して割り切ることの出来ない物語、「余り」を書いているからなんだ。
小説を書くきっかけがあまりにも悲しすぎる。
事実を受け止めきれなくて、アウトプットをしなくてはならなくなった人が書いた物語は、心が震える強さを持っている。
燃えかすを、
「余り」と言い換えてみようか。
少数や分数を学ぶ以前の、
割り算の初歩中の初歩、
「7割る3は、2余り1」の「余り」である。
ぼくの書くお話には、
必ず「余り」が点いてしまう。
『ナイフ』も『ビタミンF』も、
お話の表面に置いた出来事にはとりあえずケリがついても、
根本的な問題は残ったまま、
という構図ばかりだ。
きれいに割り切れて答えの出るお話はなかなか書けないし、
たぶん書こうともしていないのだろう。
「余り」付きの居心地の悪さにこそ、
いまの時代を生きるリアリティがあると思うから
……なんて言うとカッコつけすぎだけど。
お話には必ず「余り」を付けてしまうぼくは、
「余り」を主人公やモチーフにすることも少なくない。
たとえば『エイジ』で描きたかったのは、
「中学生」を「少年犯罪」で割ったときに
「余り」になるタイプの少年たちの日常だった。
『ビタミンF』のオジサンたちは皆、
良き父親にならねば、
と滑稽なまでの奮闘をつづけながら、
理想の父親になりきれない「余り」の部分で、
ぶざまにつまずいたり空回りしたりする。
『定年ゴジラ』の定年組のオジサンの毎日なんて
「余り」そのものだし、
教師を好んで主人公にするのも、
彼らが教室の中での「余り」だからかもしれないし、
敵と味方の狭間に一人の少年や少女を置くいじめは、
人間関係の「余り」が
最も陰湿なかたちで出たものだとは言えないか?
つまり、
「(ぼくは殺したいのに)なぜ人を殺してはいけないのか」
という問い。
ぼくは思うのです。
どうして、みんな、一言で答えようとするのだろう……。
あまりにも有名な、
某討論番組での大人たちの絶句シーン。
でも、それ、
要はその場にいた皆さんが
一言で答えようとしたがゆえの絶句だったように思います。
あるいは、
模試でおなじみの「○字以内で答えよ」みたいなね。
そんな必要、どこにもないはずです。
ゆっくり時間をかければいい。
いや、かけなければならない。
なぜって、
かつては自明の理だと思われていたこと、
問答無用の前提だったことが、
いま、問い直されているのです。
父親と母親の愛の違いを問われたら、
ぼくならこんなふうに答える。
母親は世界中で真っ先に「おまえを愛してる」と言ってくれるひとで、
父親は世界中の最後の最後に「おまえを愛している」と言ってくれるひと。
ぼくはそれを、ぼく自信の両親から教わったのだ。
内容(「BOOK」データベースより)
少年犯罪、家族のあり方、教育問題、本や映画や音楽、大切な友、少年時代の思い出など、家族をテーマに作品を書きつづける
直木賞作家・重松清の原点がわかる著者初めてのエッセイ集。
単行本『セカンド・ライン』を改題し、まったく新たに構成した待望の文庫版登場。
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コメント
彼の書く小説と自分の境遇が余りにも良く似ているところがあって
驚いた事があります。
ビタミンFはこの世の中には存在しない物質ですが、この小説のセンテンスは
十二分に周りに一杯存在します。
この小説を読んで始めて泣きました。
投稿: jazz | 2009/07/04 07:40
わたしはまだ「ビタミンF」を読んでないんですけど、これから読むのがすごく楽しみになりました。
あ、「1Q84」読み始めました
投稿: みずえ | 2009/07/05 21:52