Book

2009/11/01

その日のまえに

Sonohi20091027

「その日のまえに」★★★★★
重松 清 (著)




「ヒステリア・シベリアナ」
イリエムが若い頃に読んだ小説、それは、きっと、「国境の南、太陽の西(村上春樹)」
まさかこんなところでこの病名に再会するとは思わなかった

久し振りに、人に勧めたい本に出会った
泣き通しだった
特に「その日のまえに」と「その日」と「その日のあとで」は読んでてつらかった

P231の健哉が「酒なんか飲むなよ!」と怒鳴ってから続く展開がピークだった




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

ガンリュウは最後に一つ大きな息をついて、僕たちを見た。
「ありがと」
そっけなく言って、二枚重ねた色紙を軽い手つきでサイドテーブルに置き、入れ替わりに文庫本をまた手に取って開いた。
「ここだけ読みたいから……」
誰にも訊かれていないのにつぶやいて、一ページめくって、まばたくと、涙が目からこぼれ落ちた。
(ひこうき雲)

昨日まで、いた。
今日からは、もういない。

「先生は、ヒステリア・シベリアナって知ってますか?」
初めて聞く言葉だった。
「俺もイリエムに教えられるまで知らなかったんですけど、なんか、あいつが若い頃に読んだ小説に出てた、って」
果てのない広大な大地を耕しつづけていたシベリアの農夫が、ある日、夕日の沈む方角に向かって歩き出す。
何日も何日もかけて、沈んでいった夕日のその先を目指して歩きつづけ、やがて倒れて死んでしまう。
それが、ヒステリア・シベリアナという神経症なのだという。
(朝日のあたる家)

「よくわかんないけど、『ごめんな』って感じなんだよ。
相手がシュンだからっていうんじゃなくて、同い年ぐらいの奴が死んだら、
俺、『かわいそう』とかの前に、『ごめんな』って言いそうな気がするな」
(潮騒)

「考えることが答えなんだと、わたしは思ってます。死んでいくひとにとっても、あとにのこされるひとにとっても」
(その日のあとで)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




* ひこうき雲
* 朝日のあたる家
* 潮騒
* ヒア・カムズ・ザ・サン
* その日のまえに
* その日
* その日のあとで




出版社 / 著者からの内容紹介

僕たちは「その日」に向かって生きてきた
男女が出会い、夫婦になり、家族をつくって、幸せな一生なのか。
消えゆく命の前で、妻を静かに見送る父と子。
感動の重松ワールド。

| | コメント (0)

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか

Murakami20091026_

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」★★★★☆
村上 春樹 (著), 安西 水丸 (イラスト)




春樹のエッセイを続けて読んだ。
土曜日に熱を出して火曜日までベッドの上で過ごしていたんです、実は。
色々なことが後まわしになって大変だけど、こうなったらもうこの状況を楽しまないと損なので、とにかく本をたくさん読んだ。

春樹もやたら人見知りする性格なんだと知る。
なんとなく、そんなかんじは文体から読み取れたけれど。
自分の欠点が好きな人と同じ欠点だと、それはもう欠点じゃなくて個性に変身する。
なんてね、へへ、うれしくなる。単純だ。

春樹が「ニューヨーカー」のある編集者を訪ねた時の話みたいに、お気に入りの本をたくさん本棚に並べておいて、それに気付いた来客に一冊手渡したい。
そのくらい生活に余裕が持てたら、気持ちに余裕が持てたら、どんなに素晴らしいだろう。

春樹みたいに「リアル・ライフ・ネーム」適当に作った名前を実際の人生で使うのはおもしろそうだ。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「それはそれ、これはこれ」である。
冷たいようだけれど、地震は地震、野球は野球である。
ボートはボート、ファックはファックである(あえて出典はあげないが、僕は日常的にこの表現を好んで用いる)。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



内容(「MARC」データベースより)
裸で家事をする主婦は正しいのか、長寿猫の秘密、日本ラブホテル名前大賞など数々のヒットを生んだ最新コラム。
書き下ろしエッセイ、後日付記、苦情の手紙、温泉・愛人をめぐる対談など、みんな大好きな「村上朝日堂」。

| | コメント (0)

2009/10/30

やがて哀しき外国語

Yagate20091026

「やがて哀しき外国語」★★★★★
村上 春樹 (著)




大学時代のこと、ジャズ喫茶経営のこと、小説を書くきっかけ、免許のこと、奥さんのこと、私小説アレルギーのこと

今までほんのりと知っていたこと、輪郭がぼんやりしていたこと を
こんなに詳しく知っちゃっていいんですか

上質の長編小説を一冊読んだ気分

生まれ変わったら、春樹と結婚したい 
いや、春樹自身になりたい




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

最初の一年はけっこうあれこれと気の張る一年ではあった。
これはアメリカ人にとっても、僕らにとってもけっこう重い一年だったような気がする。
ロスの暴動が起こったのもこのすぐあとだった。
その一年のあいだ、僕はずっと家にこもって長編小説を書いていた。
ほとんどどこにも行かなかったし、ほとんど何もしなかった。
この長編小説は不思議な紆余曲折を経てぱっくりとふたつに細胞分裂し、
ひとつは『国境の南、太陽の西』という長めの中篇小説(あるいは短めの長編小説)となり、
もうひとつは『ねじまき鳥クロニクル』というかなり長い長編小説になった。

だから僕は、小説家になったほとんど最初の段階で、文章を使って個人的な言い訳をすることだけはやめようと決心した。
僕はそれほど強い人間ではないから、日常においてはあるいはついつい言い訳のようなことをしてしまうかもしれない。
でもそのために文章を使うことだけはやめようと。
いささか大げさな言い方だとは思うけれど、
たとえ世界中に誤解されたとしてもそれはそれで仕方ないじゃないか、と基本的には僕は思っている。
逆に言えば「小説家というのは良くも悪くも、そんなにみんなにすんなりと理解されちゃかなわないだろう」ということである。
「知は力なり」という言葉もあるけれど、小説家にとってはむしろ「誤解は力なり」という方が正しいのではないか。
小説の世界では理解を積みかさねて得られた理解よりは、
誤解を積み重ねて得られた理解の方が、往々にしてより強い力を持ちうるのだ。

それから僕は二十九になって、とつぜん小説を書こうと思った。
僕は説明する。
ある春の昼下がりに神宮球場にヤクルト=広島戦を見に行ったこと。
外野席に寝ころんでビールを飲んでいて、ヒルトンが二塁打を打ったときに、突然「そうだ、小説を書こう」と思ったこと。
そのようにして僕が小説を書くようになったことを。

自分の書いたものが多くの人にボロクソに言われても、
十人のうち一人か二人に自分の思いがすぱっと届いていればそれでいいと頑固に、一種の生活感覚として信じることができる。
そのような経験は僕にとってはかけがえのない財産になった。
こういう経験がなかったら、小説家として生きていくことはもっとずっとハードだっただろうし、
あるいはあれやこれや自分本来のペースを崩されていたかもしれない。
というような話を一度村上龍としていたら、
「ハルキさんすげえなあ、俺なんか十人のうち十人がいいって言わないとアタマくるもんなあ」と言って感心していた。
こういうのはたしかに村上龍らしいというか……僕の方が逆に感心してしまう。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




出版社/著者からの内容紹介

村上春樹の魅力の世界
プリンストン通信久々の長篇エッセイ アメリカより愛をこめて

僕はもうとてもとても「男の子」と呼ばれるような年齢ではないけれど、
それでも「男の子」という言葉には、いまだに不思議に心引かれるものがある。
…… (中略)……
「お前にとって〈男の子〉のイメージとは具体的にどういうものであるか」という風に質問していただけるなら、
僕の回答は簡潔かつ明瞭なものになる。
箇条書きにすると、
(1)運動靴を履いて(2)月に1度(美容室でなく)床屋に行って(3)いちいち言い訳をしない。
これが僕にとっての〈男の子〉のイメージである。簡単でしょう。──(本文より)

| | コメント (0)

2009/10/29

もの思う葦

Mono20091024_

「もの思う葦」★★★★☆
太宰 治 (著)




太宰の随筆。

繊細なひと。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

文章の中の、ここの箇所は切り捨てたらよいものか、それとも、このままのほうがよいものか、途方にくれた場合には、
必ずその箇所を切り捨てなければいけない。
いわんや、その箇所に何か書き加えるなど、もってのほかというべきであろう。
(兵法)

私の小説を、読んだところで、あなたの生活が、ちっとも楽になりません。
ちっとも偉くなりません。なんにもなりません。だから、私は、あまり、おすすめできません。

こんど、ひとつ、ただ、わけもなく面白い長篇小説を書いてあげましょうね。
いまの小説、みな、面白くないでしょう?
やさしくて、かなしくて、おかしくて、気高くて、他に何が要るのでしょう。
あのね、読んで面白くない小説はね、それは、下手な小説なのです。
(「晩年」に就いて)

「大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害が踏切台となる者であります。
伝えるところでは、ミケランジェロがモオゼの窮屈な姿を考え出したのは、大理石が不足したお蔭だと言います。
アイスキュロスは、舞台上で同時に用い得る声の数が限られていることに依て、
そこで止むなく、コオカサスに鎖ぐプロメトイスの沈黙を発明し得たのであります。
ギリシャは琴に絃を一本附け加えた者を追放しました。
芸術は束縛より生れ、闘争に生き、自由に死ぬのであります。」
(鬱屈禍)

映画は芸術であってはならぬ。
芸術的雰囲気などといういい加減なものに目を細めているから、ろくな映画が出来ない。
かつて私は次のような文章を発表したことがある。
「誰しもはじめは、お手本に拠って習練を積むのですが、
一箇の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱することが出来ぬというのは、
まことに腑甲斐ない話であります。
はっきり言うと、君は未だに誰かの調子を真似しています。
そこに目標を置いているようです。(芸術的)という、あやふやな装飾の観念を捨てたらよい。
生きることは、芸術でありません。
自然も、芸術でありません。
さらに極限すれば、小説も芸術でありません。
小説を芸術として考えようとしたところに、小説の墜落が胚胎していたという説を耳にしたことがありますが、自分もそれを支持しております。
創作において最も当然に努めなければならぬことは、(正確を期すること)であります。
その他には、何もありません。
(芸術ぎらい)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




内容
初期の「もの思う葦」から死の直前の「如是我聞」まで、短い苛烈な生涯の中で綴られた機知と諧謔に富んだアフォリズム・エッセイ。

| | コメント (2)

死神の精度

Shinigami20091009

「死神の精度 」★★★★☆
伊坂 幸太郎 (著)




藤木一恵 大手電機メーカー 苦情処理 声 の話が一番好き

あと、

音楽をあえて「ミュージック」と言う死神が好き




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「そこはちょっと嘘をつきました」
「嘘?」
嘘をついて、どうやって買わせるのだ、と私は疑問に思ったが、それを問い質すよりも先に彼は、
「昔、観た映画にですね」と弁解するように、言った。
「映画?」
「こういう台詞があったんですよ。
『誤りと嘘に大した違いはない。五時に来ると言って来ないのはトリックだ。
微妙な嘘というのは、ほとんど誤りに近い』って」
「何だそれは」
「たぶん、僕がついたのは嘘と言うよりは、誤りに近いんですよ」
(恋愛で死神)

「人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ」

疲れた人間を相手にすることほど、疲れることはない。
(旅路を死神)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




* 死神の精度(『オール讀物』2003年12月号)
* 死神と藤田(『オール讀物』2004年4月号)
* 吹雪に死神(『オール讀物』2004年8月号)
* 恋愛で死神(『オール讀物』2004年11月号)
* 旅路を死神(『別冊文藝春秋』第255号・2005年1月)
* 死神対老女(『オール讀物』2005年4月号)




* 2004年、第57回日本推理作家協会賞短編部門受賞
* 2006年、第134回直木三十五賞候補、2006年本屋大賞第3位




内容(「BOOK」データベースより)
CDショップに入りびたり、苗字が町や市の名前であり、受け答えが微妙にずれていて、素手で他人に触ろうとしない—そんな人物が身近に現れたら、死神かもしれません。
一週間の調査ののち、対象者の死に可否の判断をくだし、翌八日目に死は実行される。
クールでどこか奇妙な死神・千葉が出会う六つの人生。

| | コメント (0)

2009/10/25

現代アートバブル

Art20090920

「現代アートバブル」★★★★☆
吉井仁実(著)




この本を借りた頃はまだアートバブルだったが、読み終わった今、アートバブルは終わり、希望が……

著者の名付け親が武者小路実篤であること、岡本太郎がときどき遊びに来て、酔っぱらい、著者のベッドで寝てしまったハプニングなどを読むと、
著者の父親で、吉井画廊の吉井長三氏の偉大さが分かる。

今年の5月に山梨アート紀行(http://wpg2.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-3859.html)で行った
清春芸術村のことが書いてありうれしかった。

杉本博司氏の “In Praise Of Shadows”2003 の「こっくりとした黒」はわたしには何色に見えるのであろうか。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

アートマーケットを彩るのは、無数の鮮烈なコントラストです。
エレガンスと貪欲、台頭と没落、利潤を求めて動きまわる者の傍らに、呆然と絵の前で立ち尽くす者がいます。
絶えず変転する明と暗の落差、そのボルテージが生み出すあの独特の磁場が、
グローバルなアート・コミュニティに特殊な求心力を与え、マーケットを熱狂へと駆り立てるのだと思います。
もとより、芸術作品に値段を付け売買するというのは、不埒な行為かもしれません。
しかしそれは、物の売買という日常的プロセスに潜む隠微なメカニズムが、あらわになっているということです。
価格という記号体系に膨大な物が整然と位置づけられ、商品として取引されることの不可解さ。
日常的反復によって不可視化された物象化のメカニズムが、芸術の商品化という極限において、白日の下に曝されていると言っていいでしょう。

杉本さんは展覧会に関するインタビューで、「七作のイメージで、モノクロームの炎に自分なりの色をつけてほしい」と語っていました。
清春芸術村はのどかな田舎にあり、地元の小学校の子供たちがよく訪れるところです。
私が展覧会会場にいたときも、小学生くらいの子供たちがたくさん見に来てくれていました。
ふと、杉本さんのインタビューの言葉を思い出し、四、五人で来ていた子供たちのグループに炎が何色に見えるか聞いてみたのです。
すると、ある子は「ひまわりのような黄色に見える」と言い、理由を尋ねると「今朝お母さんに褒められたから」と答えてくれました。
「太陽のような色」と言う子もいれば、「水晶のような透き通った色」と言う子もいます。
「友達とケンカしているから、炎がお化けのように見える」と言う子もいました。
次から次へと、思いもよらない答えが返ってきたのです。

アートによるセルフブランディングは、自分のイメージの殻を打ち破ることにつながります。
ファッションと同じ楽しみ方と言うと、表層的な印象で自分を飾り立てることのように思われるかもしれません。
しかし、アートは自分の根底にある価値観の発見を促します。
多種多様なイメージやコミュニケーションを呼び起こすものであり、自分の見方・感じ方が何よりも重要なものだからです。
既成の価値判断やステレオタイプ的消費という落とし穴を、つねに巧みにすり抜けてきたものこそ、現代アートという営みであるとも言えます。
メディアの情報や作品価格といった一過性のデータはあまり当てになりません。
もし、ある作品に魅力を感じるとしたら、その人の持つ、その人自身も気付いていないかもしれない、
価値観やアイデンティティが掘り起こされているはずです。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




内容(「BOOK」データベースより)
アートバブルという言葉がにわかに注目を集めている。
ここ数年、現代美術を扱うアートマーケットが空前の高騰を続けており、投資資産としても関心の的となっている。
雑誌メディアでは頻繁にアート特集が組まれ、テレビや新聞紙面でもアートマーケットの話題を目にするようになった。
いま、現代アートの世界でいったい何が起きているのであろうか。
著者はこの本を通して、多くの人に現代美術の状況や、選び方、そしてなにより楽しみ方を伝える。

| | コメント (0)

2009/10/19

虹—世界の旅〈4〉

Niji20091007

「虹—世界の旅〈4〉」★★★★★
吉本 ばなな (著)




朝霧JAM、Rainbow Stage、JOSHUA JAMES、虹—世界の旅〈4〉

このときの情景はきっと一生記憶に残るだろうな

“虹—世界の旅〈4〉(吉本ばなな)を読みながら聞いていたら、その場面と音楽が一致してトランス状態に入ってしまい、
涙がこぼれそうになったんだけど、恥ずかしいから涙を飲み込んでステージを見上げたら、
夕日があまりにも綺麗で、影が伸びて、ああ、完璧だ、と思った”
朝霧JAM - It's a beautiful day 10月11日(日)

148ページの旦那様の告白

ここは何度読んでも胸が張り裂けそうになる




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

夢のようだ、まるで虹を見ているようだ、と私は思った。
七つの色がみんなこの世界に入っている。
そしてそれらがにじむように、きれいなリボンみたいに帯になって細くゆらめきながら広がってゆくようだ。
時が止まっているような、静かな世界だ。
いろいろなことがあったけれど、またこういうきれいなものを見ている……生きているかぎり、また苦しいこともあるだろう、
でもまた必ずこういうものが目の前に現れてくるのだ。必ず。

明日もなく、将来もない、今日だけがあるそういう暮らしだった。
そういう単純な暮らしこそが、私の夢見る暮らしだった。

人は旅先ではしょっちゅう子供に戻ってしまう。
肉体的な疲れでもなく、現実的な疲れでもなく、余裕のある疲れ方をすると独特の感覚が芽生える。
それは、世界が今まで思っていたものとまるで違って見えるということだった。
すると子供に戻ってあらためて体験するしかなくなる。

数は少なくても本当の友だちは何人かいた。
私の頑固さや感情表現のへたくそさをみんな察してちゃんといろいろ優しいことを言ってくれるような友だちが。
でも結局友だちではだめなのだ、友だちは言葉や行動や姿勢でなぐさめてくれるけど、
そういう時は何も聞かず、もしかしたら私に何が起こったかも気づかない、家族でないとだめなのだ。
お互いの体の匂いを知っていて、毎日のリズムを知っていて、肌でわかりあっていて、無頓着な……そういう人のいる空間に身をひたしたかった。

「おじいちゃんは私を見るなり、『もう充分苦労した、おまえはここにひとりでいるような娘じゃない。家に帰ってこい。迎えに来たから』と言ったの。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




内容(「BOOK」データベースより)
レストラン「虹」。
海辺の故郷そっくりの素朴で丈夫な心で瑛子はフロア係に専心していた。
だが、母の急死で彼女の心は不調をきたし、思わぬ不幸を招く。
踏みつけにされる動植物への愛、身に迫る禁断の想い…。
瑛子は複雑な気持を抱え、念願のタヒチに旅立つ。
今、美しい島で瑛子に深く豊かな愛が蘇る。
確かな希望の訪れを描いた傑作長編。

| | コメント (0)

2009/10/09

半島を出よ (上)

Hantou20080829

「半島を出よ (上)」★★★★☆
村上 龍 (著)




村上龍の書く小説は好んで読むけれど、政治経済の話は苦手。
だから、軽い気持ちじゃ全然読み進められなかった。
本腰入れないと絶対に読めない。
数ページ読んで、本棚に寝かせておいた。
でも、この本はどうしても読みたかった。
まず装丁が素晴らしいし、大作だし、その世界に入り込めば絶対おもしろいことは分かっていたから。
これはもうコレクターの心理に近いものがある。

P63
この本が書かれたのは2005年。
しかし、2009年に民主党が政権をとることが書いてある。

鳥肌が立った。なんだ、この先見の明は。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

ファン・プングが挙手をして、作戦名はもう決まっているのですか、と聞いた。
キム・グァンチョルは両手で全員を制し、すでにあります、と微笑みながら言った。
作戦名を付けることができるのは共和国でただ一人だけなんだ。
キム・グァンチョルは胸を張り、全員を見回しながら得意そうに作戦名を告げた。
「半島を出よ」

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




わたしは気になった箇所のあるページの端を折る癖があるのだが、それを見た妹が「本がかわいそうだ」と言って付箋をくれた。
この本から付箋を使うようになった。
今、付箋を集めるのが楽しい。




内容(「BOOK」データベースより)
北朝鮮のコマンド9人が開幕戦の福岡ドームを武力占拠し、2時間後、複葉輸送機で484人の特殊部隊が来襲、市中心部を制圧した。
彼らは北朝鮮の「反乱軍」を名乗った。
財政破綻し、国際的孤立を深める近未来の日本に起こった奇蹟。

| | コメント (0)

2009/10/04

ナイフ

Eigi20090912jpg

「ナイフ」★★★★☆
重松 清 (著)




いじめのおはなし




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

コンジョーやキアイのないコっているんだよ。
歌の下手なコや、手先の不器用なコや、数学の苦手なコがいるのと同じように。
おじさん、どうしてそれがわからなかったの?

反省と後悔の違いが初めてわかった。
なにかを反省するときには、本音でも建前でもいい、人はそのことについてたくさんしゃべることができる。
でも、なにかを後悔しているとき、自分のやったことが厭で厭でたまらなくなったときって、言葉が出てこない。
石橋先生は、わたしたちにいじめの反省じゃなくて後悔の作文を書かせるべきだった。
(キャッチボール日和)

いじめられるのをわかっていながら、いじめられっ子がなぜかいじめグループのそばにいた、そんな話を聞くと、痛みともくすぐったさともつかないものが胸の奥をよぎる。
弱い男の子は強い男の子が好きなんや、それくらいわからんのかアホ、評論家やワイドショーのレポーターに毒づくこともある。
(エビスくん)

子どもたちは教室の中で、塾の廊下で、駅前のロータリーで、今一番ハマっているゲームのように、<いじめ>に熱中して、飽くことを知らない。
だがどんなに<いじめ>が日常化しようと、その標的となった子どもの苦しみが軽減されることは絶対にないのだ。絶対に。
ゲームの参加者たちは貪欲だ。
おまけにその周囲にはもっともスリリングな展開が見たいとあおりたてる観客がいて、小さな闘牛士たちは、毎日のように新しい仕掛けを工夫しては、哀れな牛をもてあそぶ。
そうなると標的となった子どもが、<死>より他に逃げる道も、復讐する道もないと思い始めても不思議ではない。
まさにこれは絶望のゲームとでも言うより他ないのである。
『ナイフ』は、そんな絶望のゲームを描いた短編小説集である。
(巷の勇者たちへ 如月小春)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




・ワニとハブとひょうたん池で
・ナイフ
・キャッチボール日和
・エビスくん
・ビタースィート・ホーム




内容(「BOOK」データベースより)
「悪いんだけど、死んでくれない?」ある日突然、クラスメイト全員が敵になる。
僕たちの世界は、かくも脆いものなのか!
ミキはワニがいるはずの池を、ぼんやりと眺めた。
ダイスケは辛さのあまり、教室で吐いた。
子供を守れない不甲斐なさに、父はナイフをぎゅっと握りしめた。
失われた小さな幸福はきっと取り戻せる。
その闘いは、決して甘くはないけれど。
坪田譲治文学賞受賞作。

| | コメント (0)

2009/09/20

ビタミンF

Vi20091005_

「ビタミンF」★★★★☆
重松 清 (著)




重松清が新しくつくった栄養素、ビタミンF
Family,Father,Friend,Fight,Fragile,Fortune......Fiction

そこには、エッセイ「明日があるさ」で言う「余り」、居心地の悪さが点在する。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

父親は、東京に出ていった息子に、なにかを託そうとしたのだろうか。
だとすれば、「はずれ」だ。
自分の願いどおり上京して、二十二年になる。
ふるさとにいた頃よりも上京してからの年数の方が長くなった。
願いどおりに生きてきたわけではなかった。
我慢をして、妥協をして、ときどき愚痴をこぼしながら小さな暮らしをなんとか支えて、今日まで来た。
目標や義務はたくさんある。だが、夢は——ない。
探せば見つかるのかもしれないが、「ある」と言い切るのが気恥ずかしい。
目の前にある、やらなければいけないことをこなしていくうちに年老いてしまうのだろうと覚悟を決めている。
ふるさとから遠く離れた東京で、自分と似たような人生を過ごしている息子を見たら、父親はなんと言っただろう……。
(はずれくじ)

和美が本気で愚痴っているわけではないことは、雄介にもわかっている。
心配ごとのなにもない暮らしが逆に心配になって、ささやかな不満や不安や悩みのタネを見つけたがっているだけだ。
(セッちゃん)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




「ゲンコツ」
「はずれくじ」
「パンドラ」
「セッちゃん」
「なぎさホテルにて」
「かさぶたまぶた」
「母帰る」




出版社/著者からの内容紹介
このビタミンは心に効きます。疲れた時にどうぞ。「家族小説」の最高峰。直木賞受賞作!

38歳、いつの間にか「昔」や「若い頃」といった言葉に抵抗感がなくなった。
40歳、中学一年生の息子としっくりいかない。
妻の入院中、どう過ごせばいいのやら。
36歳、「離婚してもいいけど」、妻が最近そう呟いた……。
一時の輝きを失い、人生の“中途半端”な時期に差し掛かった人たちに贈るエール。
「また、がんばってみるか」、心の内で、こっそり呟きたくなる短編七編。直木賞受賞作。

内容(「MARC」データベースより)
ビタミンFは、家族(FAMILY)から生まれる、こころのビタミン。
Father、Friend、Fightなど「F」で始まる言葉をキーワードにした7つの家族の物語。
『小説新潮』掲載の短篇をまとめる。

| | コメント (0)

2009/09/19

カンガルー日和

Haruki20090827_

「カンガルー日和」★★★★☆
村上 春樹 (著), 佐々木 マキ (イラスト)




「やれやれ」
をいくつか見つけた
もう、小説の読み方がおかしい
やれやれつけるだけで春樹風

村上龍では、
「輪郭が曖昧になる」
を探すし、

江國香織の
擬音語・擬声語・擬態語

よしもとばななの
あえてのひらがな

文字の中の宝探し

おもしろいです


23編の短い小説

ある小さな雑誌のために書きつづけたもの

「図書館奇譚」だけが例外で長い
連続ものの活劇を読みたいという春樹の奥さんの要望

いいなーいいなーいいなーこおゆうのいいなー


「図書館奇譚」で羊男に再会
いろいろなところで会いますね
こないだ、「中国行きのスロウ・ボート」の「シドニーのグリーン・ストリート」でお会いしたばかりですね
読む順番バラバラだと不意打ちでたのしいですね、やれやれ




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「とにかく生きなさい。生きる、生きる、生きる。それだけ。私はただの——形而上学的な足の裏を持った女の子なの」
(1963/1982年のイパネマ娘)

目のつけどころは面白いのですが、風景が読み手に伝わってこないのです。
どうか鋭くあろうと思わないで下さい。
文章というのは結局は間にあわせのものなんです。
(バート・バカラックはお好き?)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




* カンガルー日和
* 4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて
* 眠い
* タクシーに乗った吸血鬼
* 彼女の町と、彼女の緬羊
* あしか祭り
* 鏡
* 1963/1982年のイパネマ娘
* バート・バカラックはお好き?
* 5月の海岸線
* 駄目になった王国
* 32歳のデイトリッパー
* とんがり焼の盛衰
* チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏
* スパゲティーの年に
* かいつぶり
* サウスベイ・ストラット―ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM
* 図書館奇譚




内容(「BOOK」データベースより)
時間が作り出し、いつか時間が流し去っていく淡い哀しみと虚しさ。
都会の片隅のささやかなメルヘンを、知的センチメンタリズムと繊細なまなざしで拾い上げるハルキ・ワールド。
ここに収められた18のショート・ストーリーは、佐々木マキの素敵な絵と溶けあい、奇妙なやさしさで読む人を包みこむ。

| | コメント (0)

2009/09/18

ホテルカクタス

Kakutasu20080901_

「ホテルカクタス」★★★★★
江國 香織 (著)



このものがたりに、「人間」は出て来ません

登場人(?)物はホテルカクタスに暮らす「帽子」と「きゅうり」と「数字の2」


それぞれの性格が身体的特徴と絡めてある


帽子:無職、かつて行商で貯めたお金でほそぼそと食いつないでいる。掃除をする習慣がない。ウイスキーを好む。カメを飼っている。読書家。

きゅうり:ガソリンスタンド勤務。親孝行。おおらか。筋トレが趣味。身も心も真っ直ぐで椅子に座れない。

数字の2:役場勤務。優柔不断。神経質。友達に打ち解けるのに時間がかかる。割り切れないことが嫌い。


書き出してみるとおもしろいな、これ
勝手に登場人物増やしたい
えんぴつとか手袋とか風船とか、あげたらきりがない


わたしがいちばん気に入っているエピソードはこれ↓

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

最終レースに賭けるとき、帰りのバス代をちゃんととりわけておいたのは、2だけだったのです。
帽子の財布もきゅうりの財布も、すっかり空でした。
「信じられない」
2はあきれましたが、その言葉には、ほんのすこし憧れが込められていました。
一体どうすればそんなふうに無謀になれるのか、2には見当もつかなかったからです。
きゅうりはへいちゃらでした。
いい機会だと、言って、アパートまでジョギングをして帰りました。
きゅうりが言うには、「ジョギングは有酸素運動なので、きゅうりの果肉をひきしめ、体内の水分をきれいにする」そうです。
困ったのは帽子です。
バス代はないし、かといってジョギングなどごめんです。
仕方がなく、2は、帽子をかぶって帰りました。
そうすれば一人分のバス代で、二人とも帰れますからね。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

すごい、目から鱗

あと、

コツコツと、どしんどしんと、ぴょんぴょんと、ちょろちょろと、ぬくぬくと、ひらひらと、ぎしぎしシャーシャー、ゴトン、
ぼどだぼどだぼどだ、ちりんと、すとんと、ぴゅうと、ざらりと、ぴと、ぴと、と、

擬音語・擬声語・擬態語

効果的にたくさん使われていて、そこからリズムがうまれる

読んでいて楽しい

文体が、童話のようで、とても短いものがたりなんだけど、言葉の力が凝縮されている
豊かな気持ちにしてくれるものがたり




「きっかけ」
「三人の部屋」
「ばくち」
「いまここに必要なもの」
「恋」
「ある日曜日の発見」
「胸襟」
「きゅうりの生き甲斐」
「2の誕生日」
「音楽」
「どろぼう」
「詩人ごっこ」
「帽子の思い出」
「眠れない夜」
「きゅうりの里帰り」
「不変なるもの」
「初雪」
「どんちゃん騒ぎ」
「約束」




内容(「BOOK」データベースより)
街はずれにある古びた石造りのアパート「ホテルカクタス」。
その三階の一角には帽子が、二階の一角にはきゅうりが、一階の一角には数字の2が住んでいました。
三人はあるきっかけで友達になり、可笑しくてすこし哀しい日々が、穏やかに過ぎて行きました…。
メルヘンのスタイルで「日常」を描き、生きることの本質をみつめた、不思議でせつない物語。
画家・佐々木敦子との傑作コラボレーション。

| | コメント (0)

2009/09/17

王国 その2 痛み、失われたものの影、そして魔法

Banana20090827_

「王国 その2 痛み、失われたものの影、そして魔法 」★★★★★
よしもとばなな (著)




よしもとばななを読むようになってから
自分のために時間を使えるようになった
全てに立ち向かうのをやめられた
何者かにならなくてもいいのだと思うと楽になった

考えても仕方のないことを考えて、まだ起こっていないことで勝手に不安になる
今を無駄にするより、今を楽しむ方を選んだ

「ひとつのことをやるときにはそのことだけをやること」
これが当分の目標

伊豆シャボテン公園、行ってよかった




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

でもきっと「簡単にリセットできるつもりになれる痛みのない世界」を創りたかった人がいて、
都会というのはきっとその人たちが描いた夢と幻の世界なのかもしれないな、と思うことがあった。

その夜はくりかえしそのメールを見た。
ちょっと休んでは見て、また忘れた頃に見て、風呂上がりに水を飲みながらまた見て。
十五回目くらいに見てさすがに意味が薄まってきたとき、気が落ち着いた。
そして、電話してみた。
そうなってからでないと、おかしなことを言ってしまいそうだったので時間がかかったのだ。

ああ、あの時、楓が去っていく時に流した涙の勢いに比べて、なんて今の淋しさは中途半端なのだろう。
電波のように私の脳に入ってきて、影響を受けてしまう。
きっとこの都会には私のような気持ちを抱いている人が、たくさんいるのだ。
仕事は忙しいし、愛する人々もいるのに、何かから切り離されたような中途半端な気持ちで、
生きているのかなんなのかわからない気持ちの中に閉じこめられている。
この、夜をぼうっと覆っている催眠術の中に。

おばあちゃんは「ああいう人は型に飲まれてしまっているから、自分だけの秘密を持たなくてはいけない」とよく言っていた。
それが変態趣味でも、畑仕事でも、家族に熱心になるのでもなんでもいいから、自分だけの生活か時間を持たないと、
依存しているうちに型に飲み込まれ、取り返しがつかないところまで行ってしまう、とよく言っていた。

まず、自分がその新しい環境をもてあまし、退屈して、淋しがっていることを認めることです。
そして、漠然とTVをつけたままにしておくのをなるべくやめること。
当分は、解毒のお茶を飲んで、お料理でも、散歩でも、仕事でも、サボテンの世話でも、
とにかくひとつのことをやるときにはそのことだけをやること。
入ってくる情報の量を制限して、脳を休ませること。
TVは最高においしいチョコレートだと思って、大切に観ること。観るときはじっと観ること。
なにより、せっかく縁があってやってきてくれたTVを、嫌いにならないこと。
敵だと思う力と、それに惹きつけられる力は、全く同じものなのです。
そして何よりも、罪悪感を持たないでください。
弱い自分に、ちょっとしたことで変化してしまった自分に。
誰でも、そうなのです。あなただけきれいでいることはできません。
反省して生活を変えるのは大いにけっこうですが、罪悪感は、その、退屈な淋しさにとっての、おいしい餌のようなものです。

口が先にしゃべるときには、二種類の感じがある。
ひとつは、ほんとうに言いたいことではない、自分の言葉ではないことを、場の雰囲気でついしゃべってしまうようなとき。
そして、もうひとつは、ほんとうは言いたくてしかたなかったことを自分で制限して言えずにいて、
誰か信頼できる人を前にしたときに言葉が生き物のように飛び出てしまうときだ。

「おまえは、そうでないと自分を思い込ませようとしてるけど、実は思い切り過去にしがみついてるんだよ。執着しているんだ。
そして、自分をすごく特別な存在だと思っているけど、その根拠がなくなりそうで、すごくあせってるんだよ。」

そして、あることに初めて気づいた。
そうか、楓は、夢の中では目が見えるのだ。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




出版社/著者からの内容紹介
忘れかけていた胸騒ぎよ、よみがえれ! 魂の色つやを守り抜け! 
今を生きる読者に宛てたよしもとばななの、長い長い手紙。
ライフワーク長篇、第二部。物語の奥深くから、今、最初の光が届く。

| | コメント (0)

2009/08/30

アヒルと鴨のコインロッカー

Ahiru20090817

「アヒルと鴨のコインロッカー 」★★★★★
伊坂 幸太郎 (著)



今、ボブディランの「風に吹かれて」を聴きながらこれを書いています。

映画が、すごく良くて、この物語はずっと色あせずに残っていくんだろうなあって思ったことを覚えています。
良い意味でいつまでたっても消化出来ない。何とも言い表せない余韻。なんだろう、しばらくぼおっとしてしまうんです。

映画のレビュー
http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_3a7e.html?no_prefetch=1

椎名が、河崎とドルジと琴美の物語に参加する。

「隣の」「隣、だ」
指を、指す。

名前が変わる時、二つの物語は重なる。

紙の上で、言葉の組み合わせだけで、こんな物語を紡ぎ出せるなんて、伊坂幸太郎、もっと早く読むべきでした。





* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「俺はね、付き合った女性の誕生日で、三百六十五日を埋めるのが夢なんだよ。元旦から大晦日まで、ありとあらゆる誕生日の女の子と交際する」

「人を慰めるような、告発するような、不思議な声だろ。あれが神様の声だよ」

「夜は人を残酷にするし、正直にもするし、気障にもする。軽率にするのよねえ」

人というものは、行動すべき時に限って、億劫がるのかもしれない。

人というものは、慎重にことを運ぶべき時に限って、行動を急いでしまうのかもしれない。

「助けられる人は助けたい」

「神様を閉じ込めるんだ」

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




内容(「BOOK」データベースより)
引っ越してきたアパートで出会ったのは、悪魔めいた印象の長身の青年。
初対面だというのに、彼はいきなり「一緒に本屋を襲わないか」と持ちかけてきた。
彼の標的は—たった一冊の広辞苑!?
そんなおかしな話に乗る気などなかったのに、なぜか僕は決行の夜、モデルガンを手に書店の裏口に立ってしまったのだ!
注目の気鋭が放つ清冽な傑作。
第25回吉川英治文学新人賞受賞作。

| | コメント (0)

愛と死

Aitoshi20090826

「愛と死」★★★★☆
武者小路 実篤 (著)




しあわせの絶頂からの喪失、絶望。

愛を失うのはこわい。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

私はレオナルド・ダ・ヴィンチを見た。
ミケランゼロを見た。
ラファエルを見た。
チチアン、レンブラントを見た。
フラ・アンゼリコのすばらしい壁画を見た。
ジョットーの壁画を見られなかったことは残念だが、このつぎの時見たいと思う。
しかし東洋にも、李龍眠がいる。
梁楷がいる、牧谿がいる。
空海、鳥羽僧正、光長、信実、雪舟等々がいる。
まだ他にいくらも居る。
仏像を見よ。

「ゴ ブ ジ オカエリヲマツテイマスナツコ」

「ケサ三ジ ナツコリユウコウセイカンボ ウデ シスカナシミキワマリナシスマヌノノムラ」

「ナツコノシンダ トイウデ ンミタホントウトハオモワレナイガ ホントウカ」

「ナツコ三ヒマエヨリキユウニビ ヨウキツイニナオラズ シラセタクナカツタガ ダ イ イチニシラセタカワイソウナヤツダ 
シンダ アアボ クモコンド ホド マイツタコトハナイオサツシスルノノムラ」 

「死にたいと思わないことはない。
しかし死んだものが慰められますか、慰められはしないのです。
慰める必要がない。
死神は人間を殺すことが出来る。
だがその時人間以上の神になる。
人間から慰められるにはあまりに高い。
あまりに清浄な、あまりに清浄な神になります。
死神よ、お前は人間を殺すことが出来るが、人間を神にする手先にすぎないのだぞ、僕はそう言いたい。
しかしです。
生き残った人間は、そのことを知りすぎながら、死んだものが可愛そうで仕方がない。
生意気な話ですが事実です。
しかし私はどうすることも出来ない。
出来るのは、生きている人間の為に働くことだけです。
憐れな人間がこの世には多いのです。
否、死ぬまでの人間は残らず哀れな人間です。
一人残らずあわれな人間です。
僕は西洋へゆきました。
何処でもあわれな人間が一杯です。
一人の哲人が居るか、居ないかでしょう」

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



あらすじ

新進の小説家・村岡は友人の野々村の妹・夏子と恋仲になり、やがて二人は結婚を誓い合う。
だが幸せいっぱいに洋行に旅だった村岡は帰りの船の中で、夏子の突然の死の知らせを受け取る。
未婚扱いで死んだ夏子の墓標には自分の苗字村岡ではなく野々村と書かれていて、そのことが村岡に耐えられない悲しみを与えるのだった。

| | コメント (0)

キオミ

Ki20090823

「キオミ」★★★☆☆
内田 春菊 (著)




誰が言ってたんだっけなー
「女向けのエロ本はすごい、男向けのエロ本なんてかわいいもんだ」
って

女の書く官能もすごいぞー
内田春菊の書くのは特にすごいぞー
脳みそ確実にピンクに染まるぞー

あ、でもこれ、芥川賞候補になったやつです




出版社/著者からの内容紹介
妊婦に冷たい夫は女と旅行に行き、妻は夫の後輩を家に呼ぶ。
若い男女の日常をためらいなく描き、芥川賞候補となった表題作をはじめ、過激な性愛の底に流れる心の切なさと揺れる男女の愛を描いた作品集。

| | コメント (0)

巴里製皮膚菓子

Ya20090827_

「巴里製皮膚菓子」★★☆☆☆
山田 詠美 (著), 小林 丸人




作家・山田詠美と写真家・小林丸人のコラボレーション。
残念ながら、写真があまり好みではなかった。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

きみを描こうとして味見した絵の具は甘かった。
舐めて甘い季節は、春。
あの春の日、きみは、まだ冷たい風の中で笑っていた。
ぼくは、肌寒さに少々身震いしながらも、きみを見て暖かくなった。
もう一枚欲しい時に、そこにある上着のような才能を感じて、ぼくは、きみを甘んじた。
そして、触れた。素人絵描きのぼくが、その瞬間、印象派になった。
(アレッサンドロ)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




出版社/著者からの内容紹介
「あなたの眼差しの届く所で、私は、いつでも、二つの死を夢想する。
愛する者の死、そして愛される者の死。
ねえ、あなたならどちらを選びたい?」
パリの穏やかな宵に響く貴金属たちの触れ合い。
残酷なまでに欲望に忠実で、狂乱の光と沈黙の闇の空隙を縫うかのように貪り合うその高貴な腐食を、静謐な文章と先鋭な写真で描く写真小説集。

| | コメント (0)

2009/08/24

マーメイドスキンブーツ

Ma20090821

「マーメイドスキンブーツ」★★★★☆
桜井 亜美 (著)




芸術やらデザインやらその用語が出てくるだけで、小説はおもしろい。

さらっとした本が読みたかった。
哲学やらどぎついこてこてのエログロだとか精神世界だとか常識からちょっと(もしくは大幅に)外れた本を読んだ後は、
脳のバランスを取る為にお洒落でちょっと痛いかんじの漢字の少ない本を読みたい。

表紙の写真はそう、蜷川実花です。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「『芸術はアガベーとエロス、そしてタナトスを、三位一体の結晶として内包していなければならない』」

「メイクもファッションもヘアスタイルも、毎日、昨日よりもっとカッコいい作品にせな気が済まんねん。
だって生きることってまんまアートやん。恋愛もみんなと同じはつまらん。うちにしかできんことしたいんや」

「才能って壊れていくことなんやないかと思うで」
サヤはかすかに苦笑しながら言う。
「うちはハギワラとつきあって、どんどんおかしくなって……。
もう戻れんようになったとき、才能あるていわれるようになったんや。
ものごっつ、たくさんのものを失って、普通の女の子のシアワセとか普通の恋とか、全部捨てたときに……」
しゃべりながら、サヤの眼が少し赤くなっていた。
あたしは思わず、彼女の膝の上の手にそっと触れる。
ふいに「君は壊れ方が足りない」と言ったハギワラの言葉を思い出す。
彼はサヤの才能を引き出すために、心を壊していったのか?
いや、きっと彼自身もとっくの昔に壊れてる。
だから、体内の毒をあんなに美しい作品に変えられるのだ。
彼は確率に支配される人間から、ものを作ることで抜けだし別の生き物になった。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




内容(「BOOK」データベースより)
彫刻を学ぶ美大生の綾瀬ナジュは、ダーツでその夜を共にする相手を決める、刹那的な恋を繰り返していた。
おしゃれやメイクで寂しさをまぎらわす日々の中、彼女は飛行機で偶然隣り合った男・霧帆に恋をする。
「今度こそ、一人の本命と幸せな恋ができるかもしれない」しかし霧帆は、彼女の大切な人の恋人だったと分かり…。
この世界のどこかに、自分のすべてを受け入れてくれる“オンリーワン”はいるのだろうか。

| | コメント (0)

超電導ナイトクラブ

Night20090723_

「超電導ナイトクラブ」★★★★★
村上 龍 (著)




抑制されている分、ホワイトカラーに変態が多いと以前から思っていたが、この本でそれがうまく表現されていて笑った。

ここに出てくるのは、その中でもカタカナ用語を使いまくる職種の人間。

「超電導ナイトクラブ」に集まるのは、SM好きのSの方で、病的な程下品で、金と知識と技術とコネと愛人とコンプレックスを
兼ね備えている(持っていないものは、モラル)変態たち。

同じ言葉の羅列 文字が入れ替わる とぎれとぎれにぶつぶつ切れる
字面で見せる精神の崩壊 文字のみで構成された視覚表現

P405からP407にかけての強烈な恥の意識の描写が素晴らしい。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

やがてヨシコが、面白い遊びをやろうと言い出して、
まずアオイちゃんに四重に目隠しをして、
耳の中にグリースとろうそくを溶かし込んで、
革の嵌口具をはめ、
からだはグルグル巻きにして、
部屋の隅に転がしておいたんです、
その後もみんなで、
ギャアギャアとインランの限りを尽くしていたんですが、
アオイちゃんの様子がおかしくて、
慌てて縄を解くと、
アオイちゃんは、その、何て言うか、おかしくて……」
読んだことがある、
感覚を奪いきってしまうと、
記憶喪失になるんじゃないか、
と光ファイバーが言って、
CTは、
まるで他人事のように、
そうなんですよ、
と笑った。

そもそも建築こそは数学と並んで子供を産めない男が発狂の恐怖に打ち勝つために確立したものでしょう?

常連達の経歴はさまざまで、
東大理Ⅲもいるしマサチューセッツ工科大もいるし岐阜工大も高崎工業高校もいるが先端技術で頭角を現わす人間の大半がそうであるように
外向的で他の価値観を認め誰とでもすぐに打ち解けるといったタイプはまずいない。
ある分野における天才達はまた違って音楽や芸術を愛しまた自ら詩作したりオーボエ演奏家であったりするのだが、
「超電導ナイトクラブ」の常連達はそんな天才には程遠くて、
自らのコンプレックスがハイテックと運良く好都合にかみ合った程度の連中だから、
初対面の人間とでも笑いながら上手に意見を交換するなどということは百年やってもできるわけがなく、
スタイルがないとかシャンペンのがぶ飲みとか内臓をドリルでえぐられるようなことを言われてもよそを向いてまったく関係のない例えば
フラクタルのコンピューターグラフィックスやセラミック樹脂と人工石英の硬度比較とかそんな話を小さな声でするだけだった。

「相手の人格を尊重した上で、その人格を奪い取ってしまう、これがセックスの原理なんだよ」

完成度を求めると芸術と快楽は墜落する

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




内容(「BOOK」データベースより)
花の銀座の路地裏でボディビルダーのママが経営する小粋な「超電導ナイトクラブ」に集まるのは
ニュー・セラミックスや光ファイバー通信や生物工学の技術者たち、ハイテッキなスノッブばかり。
常識もモラルも軽くのりこえた彼らが夜毎くりひろげる支離滅裂な餐宴—。
そしてデカダンスの終焉を予見する魅力の長編。

| | コメント (0)

2009/08/17

私と直観と宇宙人

Yoko20090802

「私と直観と宇宙人」★★★☆☆
横尾 忠則 (著)




滝の夢を想う、ワシ
自己を想う、彼
宇宙人を想う、わたし

疑心暗鬼が邪魔をして素直に読むことが出来なかった。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

芸術家は自我から出発するが、最終的には自我を消さなければならない。
「オレがオレが」という意識は努力によるものだが、努力を強調するあまり、我に執着してしまう危険性がある。
その結果、己しか信じられない人間になり易い。
「放棄」という言葉があるけど、もし完全放棄したら凄いだろうなあと思う。
これは本当に神の子としての真の内的リアリティだろうなあ。

直観は認識に関して分析的な思考と違って、精神が対象を直接に知的に把握する力の作用がある。

直観こそ最大のコンセプトである。

閃きとは五感を通じて体感するもので、一時的なアイデアを指す人的なものだ。
直観は神的、閃きは人的というわけや。

ロマン主義はファンタジックな夢のような世界を夢みることとは違う。
無限を表現することだ。
自分の最もヤバイ自分を描くことだ。
自分で自分の首を絞めて見せる。
そのギリギリがロマン主義だ。
三島由紀夫がそうだったように。

宗教の抱える危険性は人を時に盲目にしてしまうことだ。
そして自己実現を求めながらその願望から限りなく遠ざかっていくことに気づかない。
自由になりたい、解放されたい、悟りたい、すべて欲望である。
欲望が別に悪いとは思わない。
だが欲望によって執着が生じる。
彼の精神世界も完全に執着だった。
執着の状態はバリアを張ったと同様、直観にしても霊感にしても最も受けにくい状態で、それらを拒否しているも同様だ。

わたしが今までに描いた作品には沢山の富士山が登場しています。
例えば富士山全部が茶畑になって茶つみ女が頂上から裾野までびっしり一面に描かれているとか、
モスラが東京タワーを登る姿に似せて昇って行く新幹線とか、
富士山を背景に中年男がセーラー服姿の女生徒の背後から男性自身を女性自身の中に挿入しているとか、
胸をあらわにした女が出刃包丁を振りかざしている背後に二重橋があって、さらにその背後に富士山があるとか、
山本富士子の富士額がそのまま富士山になっているとか、
ピンクの肌の女が全裸で歯に歯磨きチューブを全部ひねり出している背後の銭湯のタイル絵に帆掛舟と富士山を描いたものとか、
富士山の噴火した煙が原子爆弾の原子雲そっくりになっているものとか、
ロスアンジェルスのベニス・ビーチに全学連のヘルメットやゲバ棒が打ち上げられていて、
遥か彼方に日本列島が火を噴く富士山だけを残して沈没して行く風景とか、
富士山の樹海の中で全裸になったわたしのパフォーマンスを写真に撮り、それを絵にしたものとか、です。

一体死んだらどうなるのでしょうか。想像しただけで愉しくて興奮します。
どういうわけか死後の世界が怖いとは思いません。怖いと思うのは死を予感した時です。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




内容(「BOOK」データベースより)
「直観は正しい。直観は神の観方を体感して得るものなのだ」。
その直観に導かれての旅は、不思議な出来事の連続だった。
偶然はやはり必然なのか。
「芸術とは天界を地上に映すこと」。
神の意思を伝達する道具たらんと欲する著者に、遂に宇宙人からの交信が復活する。
画霊・横尾忠則の辿る精神世界の旅、第四弾。


| | コメント (0)

2009/07/22

嫌われ松子の一生 (下)

Matsuko200907172

「嫌われ松子の一生 (下)」★★★★☆
山田 宗樹 (著)




真面目な人は、極端な性格である場合が多い。
正しいことに真っ直ぐ、負にも真っ直ぐ、気付かぬうちに転落に酔う、それが松子の欠陥。

松子が40歳から50歳の間の日々の暮らしは、わたしも3ヶ月ほど体験したことがある。
一人だったら決して浮き上がれなかった。

目が覚めてから、意識が遠のくまでの絶望。

松子の中に自分を見た。

世界中が敵にまわっても、許されない罪を犯しても、味方でいてくれる腹心が松子には必要だったのでしょう。

映画には出てこなかった終章の法廷シーンが良かった。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 わたしは泣いた。泣きながら流し下の扉を開けて、包丁を手に取った。蛇口をひねった。
左の手首を上に向け、流れ落ちる水にあてた。冷たかった。手首を目の前にもってくる。水
に濡れて、きらきらと光っていた。蒼く浮き出た血管が、震えていた。そこに包丁の刃をあ
てた。引いた。赤い花が、咲いた。(上巻)

「どうする?」
小野寺の声。
「寝る」
「エアコンは?」
「つけたままにしておいて」
 小野寺がベッドをおりた。わたしの身体に布団をかけて、電気を消した。部屋を出ていく
気配。わたしは息を吐く。
 また一日が過ぎてしまった、と思った。

 田所、なぜわたしを乱暴しようとした?なぜわたしを学校から追い出した?
 佐伯、なぜわたしを庇ってくれなかった?
 哲也、なぜわたしを連れて行ってくれなかった?
 岡野、なぜわたしを弄んだ?
 赤木、なぜはっきり求愛してくれなかった?
 綾乃姐さん、なぜ幸せになってくれなかった?
 小野寺、なぜわたしを裏切った?
 島津、なぜわたしを待っていてくれなかった?
 めぐみ、なぜわたしを見限った?
 洋くん、なぜわたしを置いて逃げた?
 両親、なぜわたしを愛してくれなかった?
 紀夫、なぜわたしを許してくれなかった?
 久美、なぜ勝手に死んでしまった?
 (下巻) 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




<本の内容>

30年前、美人教師松子。馘首され泣きながら故郷を捨てた日から残酷な運命が待っていた。惨殺された女性の生涯を通して人生の光と影を炙り出す感動ミステリー!!

| | コメント (0)

2009/07/20

嫌われ松子の一生 (上)

Matsuko200907171

「嫌われ松子の一生 (上) 」★★★★☆
山田 宗樹 (著)




まちゃこのおすすめ。
札幌から送られて来た本。

映画は2006年に観ていて、その時のレビューは三行。

******************************

「絶対好きだと思うよ。」

そう言ってくれた友人達。

私の趣味、よく分かってらっしゃる。

******************************

三年後に原作を読むことになるとは思わなかった。

山田宗樹は初めて読むが、文体の特徴として、読点が多用されている。
また、太宰作品が色濃く反映されているように感じた。

映画より理不尽さが際立ち、気持ちが沈む。

松子と甥の笙、それぞれの視点で交互に展開していく物語。

非常に読みやすい。

これから下巻を読む。



<あらすじ>
30年前、中学教師だった松子はある事件で馘首され故郷から失踪する。
そこから彼女の転落し続ける人生が始まった……。
一人の女性の生涯を通し愛と人生の光と影を炙り出す感動ミステリ巨編。

| | コメント (0)

2009/07/18

1Q84 BOOK 2

198420090711_

「1Q84 BOOK 2」★★★★★
村上 春樹 (著)




苦しい。とても皮肉だ。青豆と同様、大量の涙を流した。
あんなに嫌悪していた祈りに頼ってしまう幼き頃の洗脳の恐ろしさ。
二人がもう一度触れ合えないなんて、こんな残酷なことがあるだろうか。
ただ、手を握るだけで良かったのに。

思考犯罪、一方的な会話、空白

知覚するものと、声を聴くもの

パシヴァと、レシヴァ

観念と、実体

マザと、ドウタ

大きな黄色い月と、小さな緑色の月

今は200Q年、4日後、皆既日食が起こる。




  「あなたは何ものでもない」と父親は感情のこもっていない声で同じ言葉を繰り返した。
  「何ものでもなかったし、何ものでもないし、これから先も何ものにもなれないだろう」
  それでじゅうぶんだ、と天吾は思った。

  「わかりました。とにかくあなたは何かの空白を埋めている」と天吾は言った。
  「じゃあ、あなたが残した空白をかわりに埋めるのは誰なんでしょう」
  「あんただ」と父親は簡潔に言った。そして一差し指を上げて天吾をまっすぐ、力強く指さした。
  「そんなこときまっているじゃないか。誰かのつくった空白をこの私が埋めてきた。
  そのかわりに私がつくった空白をあんたが埋めていく。回り持ちのようなものだ」

  「心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世界には存在しない」



| | コメント (2)

2009/07/09

1Q84 BOOK 1

198420090703_

「1Q84 BOOK 1」★★★★★




どこの本屋に行っても売り切れ、入荷待ち。でも予約はしないし、インターネットで注文もしない。
わたしは本屋で平積みになっている『1Q84』が欲しかった。
だから、見つけたときは手が震えた。
とにかく、村上春樹に酔っている。そして、とりつかれたように『1Q84』を貪った。

純文学がベストセラー。
この状況、もう、ここから小説がはじまっているようにさえ思う。

物語が繋がる瞬間、
「リトル・ピープル」「空に浮かぶ二つの月」「空気さなぎ」
重要なキーワードが違う次元に出現した瞬間、一気に脳が覚める。

ふかえりもアインシュタインもエジソンもチャーリー・ミンガスもディスレクシア(読字障害)だと知って、
ジョージ・オーウェルとアリストテレスを読みたくなって、
ダイキリとトム・コリンズを飲みたくなって、
ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』とバッハの『平均律クラヴァーア曲集』『マタイ受難曲』を聴きたくなった。

初潮前の少女を犯すことに喜びを見いだす男、筋骨たくましいゲイの用心棒、輸血を拒否して進んで死んでいく信仰深い人々、
妊娠六ヶ月で睡眠薬自殺をする女性、問題ある男たちの首筋に鋭い針を刺して殺害する女、女を憎む男たち、男を憎む女たち……

青豆と天吾は出会うのか?今はそれが気になって仕方ない。
BOOK2に急ぐ。




【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20090616bk02.htm




***************************************************************************


「どうしてショウセツをかく」と彼女はアクセントを欠いた声で尋ねた。
天吾は彼女のその質問をより長いセンテンスに転換した。
「数学がそんなに楽しければ、なにも苦労して小説を書く必要なんてないんじゃないか。
ずっと数学だけやっていればいいじゃないか。言いたいのはそういうこと?」
ふかえりは肯いた。
「そうだな。実際の人生は数学とは違う。そこではものごとは最短距離をとって流れるとは限らない。
数学は僕にとって、なんて言えばいいのかな、あまりにも自然すぎるんだ。
それは僕にとっては美しい風景みたいなものだ。ただそこにあるものなんだ。何かに置き換える必要すらない。
だから数学の中にいると、自分がどんどん透明になっていくような気がすることがある。ときどきそれが怖くなる」
ふかえりは視線をそらすことなく、天吾の目をまっすぐに見ていた。窓ガラスに顔をつけて空き家の中をのぞくみたいに。
天吾は言った。
「小説を書くとき、僕は言葉を使って僕のまわりにある風景を、僕にとってより自然なものに置き換えていく。
つまり再構築する。そうすることで、僕という人間がこの世界に間違いなく存在していることを確かめる。
それは数学の世界にいるときとはずいぶん違う作業だ」
「ソンザイしていることをたしかめる」とふかえりは言った。

頭のいい十代の少女は時として本能的な演技をする。
表面的にエキセントリックなふりをすることがある。
いかにも暗示的な言葉を口にして相手を戸惑わせる。

天上のお方さま。
あなたの御名がどこまでも清められ、あなたの王国が私たちにもたらされますように。
私たちの多くの罪をお許しください。
私たちのささやかな歩みにあなたの祝福をお与え下さい。アーメン。

「それが何を意味するのか、具体的なことまではわかりません。
はっきり言って私は、その手のオカルト的なものごとに興味がまったく持てません。
大昔から同じような詐欺行為が、世界の至る所で繰り返されてきました。手口はいつだって同じです。
それでも、そのようなあさましいインチキは衰えることを知りません。
世間の大多数の人々は真実を信じるのではなく、真実であってもらいたいと望んでいることを進んで信じるからです。
そういう人々は、両目をいくらしっかり大きく開けていたところで、実はなにひとつ見てはいません。
そのような人々を相手に詐欺を働くのは、赤子の手をひねるようなものです」

時間と空間と可能性の観念。
時間がいびつなかたちをとって進み得ることを、天吾は知っている。
時間そのものは均一な成り立ちのものであるわけだが、それはいったん消費されるといびつなものに変わってしまう。
ある時間はひどく重くて長く、ある時間は軽くて短い。
そしてときとして前後が入れ替わったり、ひどいときにはまったく消滅してしまったりもする。
ないはずのものが付け加えられたりもする。
人はたぶん、時間をそのように勝手に調整することによって、自らの存在意義を調整しているのだろう。
別の言い方をすれば、そのような作業を加えることによって、かろうじて正気を保っていられるのだ。
もし自分がくぐり抜けてきた時間を、順序通りにそのまま均一に受け入れなくてはならないとしたら、
人の神経はとてもそれに耐えられないに違いない。
そんな人生はおそらく拷問に等しいものであるだろう。天吾はそう考える。


***************************************************************************




<Book Description>
1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。
そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。
そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。
私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。

Book 1
心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。

Book 2
「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。

| | コメント (4)

2009/07/06

センセイの鞄

Sensei20090613_

「センセイの鞄 」★★★★★
川上 弘美 (著)




すごく、今のわたしと波長が合う物語でした。

日常を、静かに、淡々と、味わい尽くす

この生き方が最近のわたしのマイブームなのですが、先日、最近知り合った20代前半の男の子に「手をたたいて笑うほど大笑い
をしたことがあるのか」と問われ、びっくりしてしまいました。
そんなに感情を表に出せないように見られていることが、ちょっぴりショックで、ちょっぴり新鮮でした。

ツキコさんと、センセイ

居酒屋で偶然再会したセンセイはおじいちゃんで、名前すら覚えていなかった。
だから「センセイ」と呼んだ。

40歳手前のツキコさんと、ツキコさんの30歳上のセンセイ

酒の肴の好みが同じで、センセイの前ではわがままなこどもになる。
静かにじわじわと内側からあたたまっていく、少しずつ、好きになる。

この本は一生手元に置いておこう。




  年齢と、それにあいふさわしい言動。
  小島孝の時間は均等に流れ、
  小島孝のからだも心も均等に成長した。
  いっぽうのわたしは、
  たぶん、
  いまだきちんとした「大人」になっていない。
  小学校のころ、
  わたしはずいぶんと大人だった。
  しかし、
  中学、高校、と時間が進むにつれて、
  はんたいに大人でなくなっていった。
  さらに時間がたつと、
  すっかり子供じみた人間になってしまった。
  時間と仲よくできない質なのかもしれない。




内容(「BOOK」データベースより)
「センセイ」とわたしが、過ごした、あわあわと、そして色濃く流れゆく日々。

| | コメント (0)

女生徒

Dazai20090613

「女生徒」★★★★☆
太宰 治(著)




1938年9月に女性読者有明淑(当時19歳)から太宰のもとに送付された日記を題材に、14歳の女生徒が朝起床してから夜就寝
するまでの一日を主人公の独白体で綴っている。
思春期の少女が持つ自意識の揺らぎと、その時期に陥りやすい、厭世的な心理を繊細な筆致で描き出し、当時の文芸時評で川端
康成たちから激賞され、太宰の代表作の一つとなった。(Wikipediaより)

女性の独白。14編。うつくしい日本語。




  パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。
  濁って濁って、そのうちに、
  だんだん澱粉が下に沈み、
  少しずつ上澄が出来て、
  やっと疲れて眼がさめる。
  朝は、なんだか、しらじらしい。
  悲しいことが、
  たくさんたくさん胸に浮かんで、
  やりきれない。
  いやだ。いやだ。
  朝の私は一ばん醜い。
  両方の脚が、くたくたに疲れて、
  そうして、もう、何もしたくない。
  熟睡していないせいかしら。
  朝は健康だなんて、あれは嘘。
  朝は灰色。いつもいつも同じ。
  一ばん虚無だ。
  朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。
  いやになる。
  いろいろ醜い後悔ばっかり、
  いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、
  身悶えしちゃう。
  朝は、意地悪。

  自分から、
  本を読むということを取ってしまったら、
  この経験の無い私は、
  泣きべそをかくことだろう。
  それほど私は、本に書かれてある事に頼っている。
  一つの本を読んでは、
  パッとその本に夢中になり、
  信頼し、同化し、共鳴し、
  それに生活をくっつけてみるのだ。
  また、他の本を読むと、
  たちまち、
  クルッとかわって、
  すましている。
  人のものを盗んで来て自分のものにちゃんと作り直す才能は、
  そのずるさは、
  これは私の唯一の特技だ。
  (女生徒)




出版社/著者からの内容紹介
女性の独白形式による書き出しではじまる作品を収めた。
昭和十二年から二十三年まで、作者の作家活動のほぼ全盛期にわたるいろいろな時期の心の投影色濃き女の物語集。

| | コメント (0)

2009/07/03

明日があるさ

Shigemat20090613_

「明日があるさ」★★★★☆
重松 清 (著)




そうか、重松清の斜に構えた切り口は、決して割り切ることの出来ない物語、「余り」を書いているからなんだ。
小説を書くきっかけがあまりにも悲しすぎる。
事実を受け止めきれなくて、アウトプットをしなくてはならなくなった人が書いた物語は、心が震える強さを持っている。




  燃えかすを、
  「余り」と言い換えてみようか。
  少数や分数を学ぶ以前の、
  割り算の初歩中の初歩、
  「7割る3は、2余り1」の「余り」である。
  ぼくの書くお話には、
  必ず「余り」が点いてしまう。
  『ナイフ』も『ビタミンF』も、
  お話の表面に置いた出来事にはとりあえずケリがついても、
  根本的な問題は残ったまま、
  という構図ばかりだ。
  きれいに割り切れて答えの出るお話はなかなか書けないし、
  たぶん書こうともしていないのだろう。
  「余り」付きの居心地の悪さにこそ、
  いまの時代を生きるリアリティがあると思うから
  ……なんて言うとカッコつけすぎだけど。

  お話には必ず「余り」を付けてしまうぼくは、
  「余り」を主人公やモチーフにすることも少なくない。
  たとえば『エイジ』で描きたかったのは、
  「中学生」を「少年犯罪」で割ったときに
  「余り」になるタイプの少年たちの日常だった。
  『ビタミンF』のオジサンたちは皆、
  良き父親にならねば、
  と滑稽なまでの奮闘をつづけながら、
  理想の父親になりきれない「余り」の部分で、
  ぶざまにつまずいたり空回りしたりする。
  『定年ゴジラ』の定年組のオジサンの毎日なんて
  「余り」そのものだし、
  教師を好んで主人公にするのも、
  彼らが教室の中での「余り」だからかもしれないし、
  敵と味方の狭間に一人の少年や少女を置くいじめは、
  人間関係の「余り」が
  最も陰湿なかたちで出たものだとは言えないか?

  つまり、
  「(ぼくは殺したいのに)なぜ人を殺してはいけないのか」
  という問い。
  ぼくは思うのです。
  どうして、みんな、一言で答えようとするのだろう……。
  あまりにも有名な、
  某討論番組での大人たちの絶句シーン。
  でも、それ、
  要はその場にいた皆さんが
  一言で答えようとしたがゆえの絶句だったように思います。
  あるいは、
  模試でおなじみの「○字以内で答えよ」みたいなね。
  そんな必要、どこにもないはずです。
  ゆっくり時間をかければいい。
  いや、かけなければならない。
  なぜって、
  かつては自明の理だと思われていたこと、
  問答無用の前提だったことが、
  いま、問い直されているのです。

  父親と母親の愛の違いを問われたら、
  ぼくならこんなふうに答える。
  母親は世界中で真っ先に「おまえを愛してる」と言ってくれるひとで、
  父親は世界中の最後の最後に「おまえを愛している」と言ってくれるひと。
  ぼくはそれを、ぼく自信の両親から教わったのだ。




内容(「BOOK」データベースより)
少年犯罪、家族のあり方、教育問題、本や映画や音楽、大切な友、少年時代の思い出など、家族をテーマに作品を書きつづける
直木賞作家・重松清の原点がわかる著者初めてのエッセイ集。
単行本『セカンド・ライン』を改題し、まったく新たに構成した待望の文庫版登場。

| | コメント (2)

2009/07/02

三島由紀夫レター教室

Mishima20090613_

「三島由紀夫レター教室 」★★★★★
三島 由紀夫 (著)




村上春樹 の「中国行きのスロウ・ボート」に収録されている「カンガルー通信」ではじめて手紙の文面だけで完結された小説を読んだ。
非常に面白く、もっと手紙を題材にした小説を読みたいと思い、この本を手に取った。
この「三島由紀夫レター教室 」は氷ママ子(四十五歳)英語塾経営者、山トビ夫(四十五歳)有名な服飾デザイナー、空ミツ子(二十歳)
氷ママ子の英語塾のかつての生徒、炎タケル(二十三歳)演出家の卵、丸トラ一(二十五歳)空ミツ子の従兄、の五人の登場人物が手紙を
出し合うもので、手紙形式だけで完結されている。
五人の心情を見事に扱う三島由紀夫氏には舌を巻く。




内容(「BOOK」データベースより)
職業も年齢も異なる5人の登場人物が繰りひろげるさまざまな出来事をすべて手紙形式で表現した異色小説。
恋したりフラレたり、金を借りたり断わられたり、あざけり合ったり、憎み合ったりと、もつれた糸がこんがらかって…。
山本容子のオシヤレな挿画を添えて、手紙を書くのが苦手なあなたに贈る枠な文例集。

| | コメント (0)

2009/07/01

なんくるなく、ない—沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか

Nannkuru20090613_

「なんくるなく、ない—沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか」★★★★☆
よしもと ばなな (著)




「なんくるない」を読んだ2006年、今のわたしから見てもかわいそうなくらいそのときのわたしは「なんくるなく、ない」状態だった。

「なんくるない」感想
http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_9400.html

まぶいをどっかに落としたままになっていたんだと思う。

でも、沖縄の海に浸かって、わたしは変わった。




  ちょっとした事故などで
  ほんとうにびっくりして
  ぼうっとなってしまうことを
  「まぶいを落とした」と言うそうだ。
  まぶい、は魂のことである。
  子供はまぶいが抜けやすいので、
  転んだり事故にあったり、
  驚いたことのあった場所に行って、
  まぶいを取り戻すというのは、
  あたりまえのことだそうだ。
  大人になってもあまりにびっくりすると、
  みんな普通に胸のところを手でたたいて
  「まぶやー、まぶやー、うーてくーよー」
  とまぶいを呼び戻すそうである。
  すごく納得が行く。
  大学時代を東京で過ごした学さんがなにげなく
  「大和にはまぶいの抜けたままの人がいっぱいいて驚いた」
  と言った。
  その表現は私の心をノックアウトした。




内容(「BOOK」データベースより)
1999年、はじめて旅した沖縄に恋をして—以来、波照間、石垣、そして、奄美大島まで。
やんばるの森のうっとりとする濃い美しさに魅せられ、炎天下のさとうきび畑で、失われた日本人の心を思う。
目に見えないものの力がとても強いあの島での、決して色あせることない思い出を、旅の仲間「おじぃ」こと垂見健吾氏の写真と、
原マスミ氏のイラストでおくる沖縄紀行。

| | コメント (0)

2009/06/20

夢を与える

Yume20090608

「夢を与える」★★★★☆
綿矢 りさ (著)




読ませるなあ。
文体が変わって、やや個性が薄れたけれど、乱暴なくらいの力強い描写で書くアイドルの転落、夢への嫌悪。恐いくらいだ。
インターネットに流されたその動画はもう一生消えることはない。
見ようと思えば誰にでも見ることが出来る。見られてしまう。
友達にも親にも次に愛する恋人にも、いつか産まれる子供にさえも。




  これまでの人生でも幹子の原動力の核は常に予想外の運命に対しての、
  “冗談じゃない”という怒りだった。
  だまされたこと、盗まれたこと、馬鹿にされたこと、
  三十二年の人生のうちにはいろいろなことがあった。
  どれも警察に被害届を出すような“本物の”事件ではなかったが、
  一生忘れずにいるには十分なできごとばかりだ。
  怒りは燃えさかり、
  燃料となり行動力の源になった。
  反対に怒りを内へ押し込めたままでいると、
  憎しみのガソリンがはらわたに染み込み、
  怒りの火種を近づけてしまえば内臓は勢いよく焼けただれてしまい、
  下痢になった。
  怒りで自分の体調を崩すなんて馬鹿らしい、
  そもそもここまで怒るほどのことではないと思っていても、
  いったん火が点くと、
  自分でも抑えようがないほどだった。
  だから怒りはパワーとして外に発散したほうがいい。
  しかし、
  かんしゃくを起こして駄々をこねることだけが怒りの使い道ではない。
  怒りは使いようによっては人を恐ろしく冷静にさせることもあるし、
  長期的な計画を実現させるねばり強さも与えてくれる。

  「じゃあ夢っていっても本当の夢じゃなくない?嘘ばっかりじゃない?」
  「そう、嘘ばかりだ。だから夢なんだよ」

  「さっきの話だけど、
  たとえば農業をやるつもりの人が“私は人々に米を与える仕事がしたいです”って言う?」
  「まあ、聞いたことはないね」
  「でしょ。そう、“与える”っていう言葉が決定的におかしいんだと思う。
  お米は無理で夢だけが堂々と“与える”なんて高びしゃな言い方が許されてるなんて、
  どこかおかしい。
  いままで散々言ってきたけれど」

  人気のあるなしとは別に、
  芸歴が長く芸能界に棲んでいるような人はオンとオフの区別がほとんどない。
  働きながら遊んでいるのだ。

  夕子は撮影が終わるともう疲れて笑顔にもなれないし、
  バラエティ番組でしゃべりまくったあとは
  もう誰ともしゃべりたくなくて早く家に帰りたい。
  向いてはいないけど、
  選ばれた。
  そうつぶやいては虚栄心を自分でくすぐり、
  自信の糧にした。

  裏の評価を知るのは自分にとってよいことだと夕子は信じ始めていた。
  だってのんきに暮らしていてなんの想像力も働かせなくていきなりつらいことに直面したら、
  粉々に砕け散ってしまう。
  幸せを疑うのは衝撃に備えるための準備体操。
  信じるのは馬鹿のすること。

  「まだやれるからって、やる必要はないだろ。
  まだやれるけど、やらない。
  それでいいじゃん。
  俺も多分、まだあと二、三時間は踊れるな、
  体力まだ残ってるもん。
  でもやらない、
  ダンスは好きだけど。
  ギリギリの限界までやる必要なんてないだろ。
  できたって、
  やらなくてもいい」

  男の子の性欲は規則正しくて、
  尽きたと思えばまたきちんと湧いてきて、
  なんて安心させてくれるものなんだろう。
  女のあやふやな、
  突つかなければ除々に消えてゆく性欲とは大違いだ。

  モーニングアフターピルの副作用は産まない悪阻だった。

  ふしぎ、大好きなのにいつか逃げ出せる日を夢見てる。

  夢を与えるとは、
  他人の夢であり続けることなのだ。
  だから夢を与える側は夢を見てはいけない。

  私はいろんなことが分かった、
  夕子は乾いた瞳で思った。
  当たり前のように世間の人々から得ていた信頼が
  どれだけ貴重なものだったかということ。
  空を飛び続けられる鳥などいないこと。
  不安は蓄積するとどこか祈りに似てくること。
  そして祈りに似た不安は想像以上に残酷なかたちで叶うこと。
  いつか社長の言っていた
  女の子の“肉が固くなる”のに、
  年齢は関係がない、
  ということも分かった。
  私は十八歳の今、
  肉が固くなった。




内容(「BOOK」データベースより)
私は他の女の子たちよりも早く老けるだろう。
チャイルドモデルから芸能界へ—幼い頃からTVの中で生きてきた美しくすこやかな少女・夕子。
ある出来事をきっかけに、彼女はブレイクするが…少女の心とからだに流れる18年の時間を描く。
芥川賞受賞第一作。

| | コメント (0)

2009/06/19

王国—その1 アンドロメダ・ハイツ—

Oukoku20090601_

「王国—その1 アンドロメダ・ハイツ—」★★★★☆
よしもと ばなな (著)




「人間は最低最悪の害虫だ」と、最近急に思い出したように極端に怒り出すわたしです。

怒ることに酔っているんだと思います。

よしもとばななを読んだ後は、自分と向き合いすぎて、人に会うのが怖くなります。

でも、読み終わったあとの、「ぼんやり」はやめられない。

こころのひだに触れる言葉が出てくる度、違うこと、傷ついたことを思い出して、少しチクッとします。

伊豆のシャボテン公園に行ったら、きっとこの本をもっと好きになる。

「吉本ばなな」から「よしもとばなな」に改名してからのはじめての作品。




  自分の体と心と魂、
  それを持ってさえいれば、
  欠けるものはいつでもなにひとつなくて、
  どこにいようと同じ分量の何かがちゃんと目の前にあるようなしくみになっているのだ。
  もしそう感じられないのであれば、
  それは本人の問題に過ぎない。

  自分が何かしてあげている気になったときがおしまいのときだ、
  とおばあちゃんはいつも言っていた。

  サボテンはあなたのことが大好き、
  そう言われたら普通ぷっと吹き出してしまうだろう。
  でも私はもちろん納得していた。
  そしてなんだかその優しい言葉の響きに、
  私は涙ぐんでしまった。
  サボテンは私を好きなんだ、
  そう思ったらおばあちゃんと暮らしていたときのような安心感が私を包んだ。
  そうか、やっぱりそこにいてくれたのか、そういう感じだった。
  今までは言葉としてうまく通じ合っていなかったけれど、
  この人が通訳してくれたおかげで、
  お互いの気持ちを知ることができた、
  そういう風だった。
  「なんでもいいのであなただけの持ち物を触らせてください。」
  私は鞄の中を探した。
  下を向いたらまた、涙が一粒、ぽろりと鞄の中に落ちた。
  私は不思議な精神状態にあった。
  よく本の中で、
  自分が帰依できる導師に出会うと、
  こういう気持ちになると書いてあった。
  多くの人が信仰に入ったきっかけとしてそれをあげていた。
  私は読むたびに
  「ばかだなあ、一種の催眠術にかかったんだ、きっと」
  と思ったものだった。
  しかし、いざ自分の身にそれが起こってみると、
  あまりにも扱いかねる大きな感情だった。
  押し寄せてくる懐かしさ、切なさ、そして帰りたいという気持ち。
  この人がいつもいる世界こそが私が求めていた世界だと、
  全身の細胞がうちふるえていた。

  あの時、
  淋しさにうちのめされたあの感じを一生忘れることはないだろう。
  淋しさがまるで石のハンマーのように硬く、
  私のみぞおちにたたきつけられたのだ。
  生まれて初めて、
  右にも左にも、
  手で触れる人がいなかった。
  土もなく、
  空も汚れていて、
  木々も私を抱いてくれなかった。
  おばあちゃん、
  と声に出せば、
  これまではいつも返事が返ってきたのに、
  もう誰もいなくなっていた。

  大丈夫だよ。
  やりたいと思ったときが、
  時間のある時なんだ。
  そういうのをしなくなったら、
  時間の奴隷になっちゃうよ。




出版社/著者からの内容紹介
王国—その1 アンドロメダ・ハイツ—

目に見えない「大きなもの」に包まれ、守られて生きる女の子の物語。
それはあなたの物語。待望の書き下ろし。

最高のもの探し続けなさい。
そして謙虚でいなさい。
憎しみはあなたの細胞まで傷つけてしまうから…

小さな山小屋におばあちゃんと暮らしていた。おばあちゃんが日本を離れることになり、一人で都会へ移り住んだ。
不思議な男性占い師、そして妻のいる男との恋。人生が静かに動きだす。
彼女の、美しく、はなかい魂のゆくえ。

| | コメント (0)

2009/06/08

流しのしたの骨

Nagasi20090527

「流しのしたの骨」★★★★★
江國 香織 (著)




食卓を飾る枯れ葉、枝、石、くりのいが、すすき。
本を読むお手伝い。
家族の行事をたいせつにすること。
詩人で生活にこだわりを持つ母。
こういうお母さんにわたしはなりたい。

ハムスターを誕生日プレゼントにもらったときの反応がすてき。

*******************************************************

  「茶色と白のまだらですか?」
  と、期待をこめて訊いた。
  父はひっそりとうなずく。
  「ささやかで謙虚な、あるかなきかのかわいらしいしっぽをしているの?」
  それは質問というより確認のようだった。
  母は目をかがやかせ、次々父に確かめる。
  鼻はピンク色ですか。
  背中をなでるとビロードみたいにやわらかい?
  手のひらにのせると四つの足はとても小さくて、
  爬虫類みたいにつめたい足のうらをしているの?
  興奮のあまり母の顔は上気していた。
  母は化粧をしていないので、そうすると子供のような顔になる。
  父は母の質問の一つ一つにうなずきながら、
  なんとなく困ったような顔をしていた。
  「ウィリアムね」
  ついに結論をだすように母は言い、りぼんをほどいて箱の蓋をあける。
  そこには母のいったとおりのハムスターが、首にりぼんを結ばれた格好で入っていた。
  それがどうしてウィリアムなのかはわからないけれど、
  そのハムスターのやわらかな体と賢そうな瞳、
  ささやかで謙虚な、
  あるかなきかのかわいらしいしっぽをみた途端に私たちは思った。
  ああたしかにウィリアムだ、と。

*******************************************************

ね。

そして、タイトルの入った一節を読むとぞわぞわする。

「流しのしたの骨をみろっ」

ああ、なんて本を読むのは楽しいんだろう。
同じ本でも、ゆらゆら浮き上がってくる絵を感じながら読むときと、意識的にがっつり情景に色をつけて読むときはまた違う。
考え出したらとまらない。奥深い。本を読むということ。
読書好きは妄想好きとみた。
本を読んでいる時にトランス状態に入るって田口ランディがブログに書いてたけど、まさにそうだなと最近思う。
すごく気持いい。本によるけど。
ここまで来るのに随分時間がかかってしまった。
同じ本でも実用書はこれができないからあまり好きではない。
説明書は読む気がしない。頭に入らない。というか読まない。

旅芸人・福尾野歩氏の書いた解説改め「読後ライブ」がすごくおもしろかった。

書き出しは、

しま子ちゃんに 恋をした。




  「あなたのお友達は左利きなの?」
  二人になると、
  私はずっと訊きたかったことを訊いてみた。
  深町直人はよくわからない顔をする。
  「ほら、あの二人ずっと手をつないでいたでしょう?
  もともと左利きなのか、
  それとも彼女と手をつないでいるために左手を使っていたのかしらって……」
  ああ、と、深町直人は納得したように言った。
  「左利きだよ」
  私は感心した。
  恋人が左利きだとすごく便利だ。
  そう感想を述べると、深町直人はわらっていた。

  「こと子」
  意識的な声で母が言った。
  薄化粧をした横顔はけっこうきれい。
  「ぎんなんと本、どっちがいい?」
  立ち上がり、
  テーブルの上のお茶道具を片付けながら訊く。
  「読む方」
  私は言い、
  濃いコーヒーの最後の数滴をのみほした。
  これは私たちが子供の頃からさせられていた「お手伝い」の一つで、
  ぎんなんをむくとかぎょうざの具を包むとか、
  さやえんどうのすじをとるとかいう単純作業を母がするときに、
  そばで本を読んであげるのだ。
  そうでなきゃ時間がもったいない、と母は言う。
  小さい頃、私たちはみんなこの「お手伝い」が好きだった。

  攻撃が最大の防御だと知っているのだ。

  「ボーイフレンドって素敵よね。
  いるあいだはたのしいし、
  いなくなると気持いい」

  おりがみは気持ちの落ち着く遊びだ。
  とくにはじめてのものを折る場合、
  本の指示に従って忠実にやることが大切なので、
  集中するし頭がからっぽになる。
  いつかそよちゃんにそう言ったところ、
  それじゃあそれはお菓子をつくるのと一緒ね、
  と、そよちゃんが言った。
  そうなのかもしれない。
  ひとそれぞれいろんなやり方があるものだ。

  「そよちゃん」
  私は、台所に立つ姉の後ろ姿に向かって言った。
  「離婚するってどんな気持ちのもの?」
  そよちゃんは鍋をみたまま少しだけ考えて、
  それから微笑みを含んだ声でおっとりと、
  「そうねえ、半殺しにされたままの状態で旅にでるような気持ち、かしら」

  本人が気づいているかどうかはわからないけれど、
  そよちゃんはこういうことが上手だ。
  こういうことというのはある種の告白。
  しま子ちゃんみたいに、
  夜ごはんの席で突如として宣言するようなことはしない。
  一人一人味方にしていくのだ。

  よそのうちのなかをみるのはおもしろい。
  その独自性、その閉鎖性。
  たとえお隣でも、よそのうちは外国よりも遠い。
  ちがう空気が流れている。
  (あとがきより)




内容(「BOOK」データベースより)
私、もし誰かを殺してしまったら骨は流しのしたにかくすと思う。
19歳の私と不思議な家族たちの物語。

| | コメント (0)

2009/06/05

海のふた

Umi20090601

「海のふた」★★★★☆
よしもと ばなな (著)




自分の「好き」だけを集めたかき氷屋さん。
自分の場所を持っているという幸福。「夢をかなえる」神秘的なきらめき。
素敵だなあ

『一日のことを一日分だけする暮らしがしたいだけ。』
この言葉がわたしの中に響きました。

西伊豆の土肥
今年の夏はここで決まりでしょうか。




わたしの海の記憶


いち http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_e590.html
に  http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_2.html
さん http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_4112.html
し  http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1_86ec.html
ご  http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_2.html
ろく http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_0010.html
なな http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/2008_bcda.html


ブログやっててよかった




  「確かに、あなたはひとりでお店をやっていて大変だと思う。
  まだ開店したばかりで余裕もないでしょう。
  でもはじめちゃんが来る夏は今だけなのよ。
  時間を割いてあげること、それだけがほんとうのおもてなしでしょう。」

  「まりちゃんの店には、
  まりちゃんがちゃんと考えて好きになったものしかないから、
  けばけばしい色のシロップもないし、
  器も琉球ガラスで、
  素朴だけどとてもきれいだし。
  そういう、
  まりちゃんにきちんと愛されてるものでできている空間にいると、
  気持ちがうんと落ち着くの。
  なんだかとても静かなきれいな感じがするから。」

  お客さんの悪気ない言葉の小さなかけら
  ……たとえば小さい子の
  「なんで赤いのはないの?」とか、
  おばさんたちの
  「なんだか甘くなくておいしくないわね」とか
  「見た目が地味で損した気がする」とかいうものは、
  なぜだか他の多くの人たちの
  「珍しいし、くどくなくておいしいし、見た目もきれい」
  という評価よりもずっと強く心に刺さってきた。




内容(「MARC」データベースより)
今年も泳がせてくれてありがとう。今年もこの海があってくれて、ありがとう。
第二の故郷と言える西伊豆・土肥へのよしもとばななの恩返し。
版画家・名嘉睦稔とのコラボレーションによる一冊。『読売新聞』連載を単行本化。

| | コメント (2)

2009/05/31

中国行きのスロウ・ボート

Surow20090511

「中国行きのスロウ・ボート」★★★★★
村上 春樹 (著)




小さなショック、僅かな心の震えが時折やってきては何事もなかったように去って行く。
日常に帰ればこのことは忘れてしまう。
でもそれはたしかにあったのだ。
寂しいけれど、励まされる村上春樹の非現実な内面世界。

「シドニーのグリーン・ストリート」で羊男に再会した。




  彼女はとても熱心に働いていた。
  僕もそれにつられて熱心に働いたが、
  彼女の働きぶりを横で見ていると、
  僕の熱心さと彼女の熱心さは
  まったく質の違うものであるような気がした。
  つまり、
  僕の熱心さが
  「少なくとも何かをするのなら、熱心にやるだけの価値はある」
  という意味での熱心さであるのに比べて、
  彼女の熱心さは
  もう少し人間存在の根元に近い種類のものだった。
  うまく説明できないけれど、
  彼女の熱心さは、
  彼女のまわりのあらゆる日常性が
  その熱心さによって辛うじて支えられているのではないか
  といったような奇妙な切迫感があった。

  彼女はその日の午後、
  三十分ばかり、
  一種のパニック状態におちいった。
  彼女がそんな風になったのははじめてのことだった。
  最初はほんの小さな手違いだったのだが、
  それが彼女の頭の中で少しずつ大きくなり、
  やがてとりかえしのつかない巨大な混乱へと姿を変えた。
  そのあいだじゅう彼女は一言も口をきかずに、
  その場にじっと立ちすくんでいた。
  彼女の姿は僕に、
  夜の海にゆっくりと沈んでいく船を思わせた。
  僕は作業の一切をストップし、
  彼女を椅子に座らせ、
  握りしめた指を一本ずつほどき、
  熱いコーヒーを飲ませた。
  (中国行きのスロウ・ボート)

  母親は男の子をちらりと眺めてから面倒臭そうにため息をついた。
  母親はきっと疲れているんだろう、
  と僕は想像した。
  月賦の支払いや歯医者の請求書やあまりに速く進みすぎる時間が
  夕暮の彼女をすっかり押し潰してしまったのだろう。
  (貧乏な叔母さんの話)

  まわりの友人たちも、
  たいたいが同じような年齢だった。
  27、28、29……死ぬには何かしら不適当な歳だ。
  詩人は21で死ぬし、
  革命家とロックンローラーは24で死ぬ。
  それさえ過ぎちまえば、
  当分はなんとかうまくやっていけるだろう、
  というのが我々の大方の予測だった。
  伝説の不吉なカーブも通り過ぎたし、
  照明の暗いじめじめしたトンネルもくぐり抜けた。
  あとはまっすぐな六車線道路を
  (さして気は進まぬにしても)
  目的地に向けてひた走ればいいわけだ。

  「僕はね、夜中にものを考えるのを止したんだよ」
  と彼は言った。
  「どうやって?」
  「暗い気分になると掃除をするんだよ。
  掃除機をかけたり、
  窓を磨いたり、
  グラスを拭いたり、
  机を動かしたり、
  シャツにかたっぱしからアイロンをかけたり、
  クッションを干したりさ」
  「うん」
  「そして十一時になると酒を飲んで寝ちゃうんだよ。
  それだけさ。
  朝起きて靴下をはくころには大抵のことは忘れてる、
  さっぱりとね」
  「ふうん」
  「夜中の三時には人はいろんなことを思いつくもんさ。
  あれやこれやとね」
  「そうかもしれない」
  「夜中の三時には動物だってものを考える」

  「良い世界には良い音楽なんてないのよ」
  と彼女は言った。
  「良い世界の空気は振動しないのよ」

  「でもリクエストって嫌よ。
  なんだか惨めな気持になるんだもの。
  図書館で借りてきた本みたいにね、
  始まった途端にもう終る時のことを考えてるのよ」
  (ニューヨーク炭坑の悲劇)

  あなたの手紙は実に魅力的なものでした。
  文章、筆跡、句読点、改行、レトリック、
  なにもかもが完璧です。
  優れている、
  ということではありません。
  ただ完璧なのです。

  僕は同時にふたつの場所にいたいのです。
  これが唯一の希望です。
  それ以外には何も望みません。

  僕はコンサート・ホールでオーケストラを聴きながら、
  ローラースケートをしたいのです。
  僕はデパートの商品管理係でありながら、
  マクドナルドのクォーター・パウンダーでもありたいのです。
  僕は恋人と寝ながらあなたと寝たいのです。
  僕は個でありながら、原則でありたいのです。
  (カンガルー通信)

  記憶というのは小説に似ている、
  あるいは小説というのは記憶に似ている。
  僕は小説を書きはじめてからそれを切実に実感するようになった。
  記憶というのは小説に似ている、あるいは云々。
  どれだけきちんとした形に整えようと努力してみても、
  文脈はあっちに行ったりこっちに行ったりして、
  最後には文脈ですらなくなってしまう。
  なんだかまるでぐったりした子猫を何匹か積みかさねたみたいだ。
  生あたたかくて、しかも不安定だ。
  そんなものが商品になるなんて
  ——商品だよ
  ——すごく恥ずかしいことだと僕はときどき思う。
  本当に顔が赤らむことだってある。
  僕が顔を赤らめると、
  世界中が顔を赤らめる。
  (午後の最後の芝生)

  こんな風にやっていくのは嫌だ、と彼女は言った。
  こんな風に?
  週に一度のデートとセックス、
  また一週間がたって、
  またデートとセックス
  …いつまでこんな風にやってくの?
  彼女は泣いた。
  僕は慰めたが、うまくいかなかった。

  時計は八時二十分を指している。
  しかしいずれにしても思い悩むほどのことでもない。
  誰かが僕に会いたがっている。
  会えばいいのだ。
  (土の中の彼女の小さな犬)




内容(「BOOK」データベースより)
青春の追憶と内なる魂の旅を描く表題作ほか6篇。著者初の短篇集。

| | コメント (0)

2009/05/14

神様のボート

Kamisama20090504

「神様のボート」★★★★★
江國 香織 (著)




小さな、しずかな物語ですが、これは狂気の物語です。
そして、いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だと思っています。(江國 香織)

ドキドキした。この小説、好きだなあ。
江國香織の作品にここまで惹かれたのははじめてで、この本で江國香織を知りたかった。
江國香織を形容するときによく使われる言葉「みずみずしい」を意識し、目が覚めた。染み込んでくる。

母・葉子と、娘・草子が交互に物語ることでこの小説が成り立っているんだけど、その一文を読んだだけで、スーッとどちらかに入ることが出来る。
しかも、草子はその語りそのものが徐々に成長していってる。

葉子のひとつひとつの物事に対する一途さ、一生懸命さを危なっかしく思う。
娘を大人同様に扱い、第三者のこちらが恥ずかしくなってしまうほどロマンチックに愛した人を語る。
ニュアンスを香らせる、純粋な人をそこに見て、とてつもなく不安になってしまった。

シシリアンキスが飲みたい。倒れそうに甘くて病みつきになる味の。



  —すぎたことはみんな箱のなかに入ってしまうから、
  絶対になくす心配がないの。
  すてきでしょう?

  でも桃井先生にいわせると、
  ある場所で浮かないことと
  ある場所に馴染むこととは
  全然別であるらしい。
  —きみは馴染まないね。
  先生によくそう言われた。
  浮かないけれど、
  馴染みもしない。
  それは悪いことではないけれど、
  ときとしてまわりの人間を孤独にするそうだ。

  —葉子ちゃんは方向オンチだからな。
  あのひとはいつかやさしい目で言った。
  —ずいぶん遠くまでいってたんだね。
  私は泣きたかった。
  いっぺんに気持ちがあふれてどうしようもなかった。
  ずっと一人だった。
  トッポジージョにはなれなかった。
  自分を不幸だと思ったことはなかったが、
  でも、つまらなかった。
  生きていてもよくわからなかった。
  どうすればいいのか、
  どうしてもっと生きなきゃいけないのか。
  あのひとに会うまでは。

  仕事は大切よ、と、ママは言う。
  煙草とコーヒーとチョコレートがママの栄養源で、
  仕事がママの安定剤、
  パパがママの支えで生きる理由で、
  あたしがママの喜びで宝物なのだ、と。




内容(「BOOK」データベースより)
昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。
“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子”。
必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。
“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの”
“神様のボートにのってしまったから”
—恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遙かな旅の物語。

| | コメント (0)

2009/05/08

ご新規熱血ポンちゃん

Pon20090430_

「ご新規熱血ポンちゃん」★★★★★
山田 詠美 (著)



お酒と男の子と文学はエイミーにとって合法ドラッグの三種の神器。

今までに読んだ熱血ポンちゃんシリーズでこれが一番おもしろかった。

「NANA」読んでるなんて意外!なんかうれしいぞ。しかもレンとヤッさんが好きらしい。ふむふむ。

朗読会に行きたい!と思って「西荻窪Konitz」のホームページを見たら、なんと!閉店してるではないかー!
しかも2009年4月30日て!8日前じゃないかあ!悲しい。悲し過ぎるぞおお。




ポンちゃんシリーズ自分的メモ。

○:既読
△:持ってるけど未読
×:未読


×熱血ポンちゃんが行く!

○再び熱血ポンちゃんが行く!

○誰がために熱血ポンちゃんは行く!

△嵐ヶ熱血ポンちゃん!

△路傍の熱血ポンちゃん!

×熱血ポンちゃんは二度ベルを鳴らす

○熱血ポンちゃんが来りて笛を吹く

○日はまた熱血ポンちゃん

○ご新規熱血ポンちゃん

×熱血ポンちゃん膝栗毛

×アンコ椿は熱血ポンちゃん




  時々好きで、
  時々嫌いで、
  でも、
  そんなことを超越したところで、
  全部引き受けなきゃなんない。
  いやはや、
  親子の問題は、
  深くて複雑で、
  作家心を刺激してやまないものである。

  言葉に対する意識というのは、
  本当に人それぞれ。
  江國さんは、
  「せっかく」という言葉に弱いのだと言っていた。
  解る気がする。
  私が弱いのは「味方」って言葉。
  おれはエイミーの味方だから、
  とか言われちゃうと、
  弱い所を突かれたような感じになる。
  つっかえ棒、
  外されちゃった、
  みたいな?
  これって、
  人によって泣きのツボが異なるのと似てるよね。

  私が一番忌み嫌っているのは、
  やっかみとひがみ。
  あの人が幸せそうに見えて、
  私がこうなのは、
  正当ではないと感じる気持。
  よく劣等感が小説を書かせると言われるけれど、
  私は、それは正しくないと思う。
  小説を書くのにネガティブな心の部分は必要だけれど、
  それは他人と比較した劣等感である必要はない。
  むしろ、
  自分の心の内でネガティブなものを独立させ、
  劣等感など寄せ付けない程の暗さを確立すべきであろう。
  ちゃちなやっかみとひがみは魂を汚すよ。
  もっとも、
  汚したままを良しとしている作家もいるみたいだけどね。
  あまりにも鈍化された激しい憎しみは、
  かえって美しい。
  けれど、そこまで到達出来ない下世話なやっかみは、
  文学とは無縁のものであろう。

  自分に関係ない事件、
  事故を見詰める人々って、
  どうして皆一様に同じ表情を浮かべるのだろう。
  興奮している。
  それも、どちらかというと、
  わくわくしている感じ。
  そして、
  それを隠そうと不安や心配を浮かべて見せようとしているが、
  ほとんど失敗している。
  当事者にならないですんだ近い場所にある不運や不幸って、
  最高のエンターテインメントになっちゃうんだなあ、
  と思いつき、
  自分もそんな表情を浮かべているのかもと恥ずかしくなって、
  そそくさと家の中に入る。
  私は、
  他人の不幸に心を踊らせる人を目撃すると、
  ばつの悪い気分になる。
  そして、
  それを善良な仮面で覆い隠そうとしている表情を目の当たりにすると、
  ばつの悪いのを通り越して、
  おっかなくなる。

  文学の世界にいる人ほど、
  小説を読むという世にもシンプルな娯楽の醍醐味を忘れているような気がする。




内容(「BOOK」データベースより)
テロにも負けず雪のニューヨークをがしがし歩き、でぶにも負けず旨い肴を作っては熱燗で一杯。
人生のささやかな喜びを追求しつつ、ポンちゃんは今日も行く!
「書を捨ててバーに行こう」など珠玉の(笑)言葉がちりばめられた大人気エッセイが、装いも新たに登場。

| | コメント (0)

2009/05/01

アフターダーク

Af20090426

「アフターダーク」★★★★☆
村上 春樹 (著)




23:56〜6:52

多くの人々が無意識になっている時間に起こったできごと

マリと同じように夜中にファミレスで本を読むことが好きなので
情景がぽんと目の前に来て
勝手に物語が展開していった

同じ時刻に違うものごとが同時進行で経過していくということ
同じ音楽が違う場所で複数存在しているということ
そういった当たり前のことを不思議に思って
知っていることを納得する

ゆっくり歩いて、たくさん水を飲もうと思った




  男は『ファイブスポット・アフターダーク』の最初の八小節をハミングする。
  「知ってるよ、それ」とマリは言う。
  彼はわけがわからないという顔をする。「知ってる?」
  マリはその続きの八小節をハミングする。
  「どうして知ってるの?」と彼は言う。
  「知ってちゃいけない?」

  コンビニの店内。
  タカナシのローファット牛乳のパックが冷蔵ケースの中に置かれている。
  高橋が『ファイブスポット・アフターダーク』のテーマを口笛で軽く吹きながら、
  牛乳を物色している。

  「プロのミュージシャンになるつもりなの?」
  彼は首を振る。
  「僕にはそれほどの才能はない。
  音楽をやるのはすごく楽しいけどさ、
  それでは飯は食えないよ。
  何かをうまくやることと、
  何かを本当にクリエイトすることのあいだには、
  大きな違いがあるんだ。
  僕はけっこううまく楽器を吹くことができると思う。
  褒めてくれる人もいるし、
  褒められるともちろん嬉しい。
  でもそれだけだ。
  だから今月いっぱいでバンドをやめて、
  音楽からは足を洗おうと思ってるんだ」
  「何かを本当にクリエイトするって、
  具体的にいうとどういうことなの?」
  「そうだな……音楽を深く心に届かせることによって、
  こちらの身体も物理的にいくらかすっと移動し、
  それと同時に、
  聴いてる方の身体も物理的にいくらかすっと移動する。
  そういう共有的な状態を生み出すことだ。たぶん」

  「僕の人生のモットーだ。ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」




内容(「BOOK」データベースより)
時計の針が深夜零時を指すほんの少し前、都会にあるファミレスで熱心に本を読んでいる女性がいた。
フード付きパーカにブルージーンズという姿の彼女のもとに、ひとりの男性が近づいて声をかける。
そして、同じ時刻、ある視線が、もう一人の若い女性をとらえる—。
新しい小説世界に向かう、村上春樹の長編。

| | コメント (0)

2009/04/29

東京奇譚集

Kitan20090419

「東京奇譚集」★★★★☆
村上 春樹 (著)




村上春樹は難しい言葉を使わない。
ストンとその奇譚な世界に落ちてしまう。


5月29日発売の最新長編小説『1Q84』楽しみです。




  「かたちのあるものと、
  かたちのないものと、
  どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、
  かたちのないものを選べ」

  輪郭のあることは何ひとつ考えられない。
  重みを持つ過去は、
  どこかにあっけなく消え失せてしまったし、
  将来はずっと遠い、
  うす暗いところにあった。
  どちらの時制も、
  今の彼女とはほとんどつながりをもっていなかった。
  彼女は現在という常に移行する時間性の中に座り込んで、
  波とサーファーたちによって単調にくり返される風景を、
  ただ機械的に目で追っていた。
  今の私にいちばん必要なのは時間なのだ、
  彼女はある時点でふとそう思った。
  (ハナレイ・ベイ)

  「よくわかりませんね、そのへんの違いは。
  ぼんやりする——考えごとをする。
  私たちは日常的にものを考えます。
  私たちは決してものを考えるために生きているわけではありませんが、
  かといって生きるためにものを考えているというわけでもなさそうです。
  パスカルの説とは相反するようですが、
  私たちはあるときにはむしろ、
  自らを生きさせないことを目的としてものを考えているのかもしれません。
  ぼんやりする——というのは、
  そういう反作用を無意識的にならしている、
  ということなのかもしれません。
  いずれにせよむずかしい問題です」

  「ときとして私たちは言葉は必要とはしません」
  と老人は言った。
  私の言ったことが耳に入らなかったみたいに。
  「しかしその一方で、
  言葉は言うまでもなく常に私たちの介在を必要としております。
  私たちがいなくなれば、言葉は存在意味を持ちません。
  そうではありませんか?
  それは永遠に発せられることのない言葉になってしまいますし、
  発せられることのない言葉は、
  もはや言葉ではありません」

  「それは、何度でも繰り返し考えられる価値のある命題です」
  (どこであれそれが見つかりそうな場所で)

  「ヒントはなし。
  むずかしいかしら? 
  でも、観察して判断するのがあなたの仕事でしょう?」
  「それは違うね。
  観察して、観察して、更に観察して、
  判断をできるだけあとまわしにするのが、
  正しい小説家のあり方なんだ」
  (日々移動する腎臓のかたちをした石)




出版社 / 著者からの内容紹介
奇譚(きたん)とは、不思議な、あやしい、ありそうにない話――。
しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語――。

ふとした偶然に人生を導かれるピアノ調律師、息子を海で失った女、失踪人を探索するボランティアの男、「一生で出会う三人の女」の一人と出会った男……。
「新潮」連載時から話題を呼んだ四作品に、奇想天外な書下ろし作品「品川猿」を加えた、東京で静かに暮らす人々に秘められた五つの物語。

| | コメント (0)

2009/04/25

散歩のとき何か食べたくなって

Sanpo20090412

「散歩のとき何か食べたくなって」★★★★☆
池波 正太郎(著)




林真理子の書いた「20代に読みたい名作」の中にこの「散歩のとき何か食べたくなって」があった。
お腹が空いてくる。
食欲がわいてくる。
わくわくしてくる。
この本を片手に食べ歩きしたくなる。
とてもおいしい本。




| | コメント (0)

2009/04/16

希望の国のエクソダス

Kibou20090328

「希望の国のエクソダス」★★★★★
村上 龍 (著)




「2002年、一斉に不登校を始めた中学生がネットビジネスを展開し、遂には世界経済を覆した。」

この本は2年前に購入してからずっと本棚に眠っていた。
あまりにも大作過ぎて読む前から胸焼けを起こしていたのだ。

最近経済について話す機会が多いので今なら読めると思った。

内容はおもしろいのに知識が追いつかなくて、何度も心が折れそうになった。
専門用語を理解しきれていない感は否めない。

情報量がものすごい。
これは小説なのか。
過去にあったニュース、または予言書を読んでいるようだ。
村上龍はやっぱりすごいと思い知らされる。

ASUNAROが未来に出現するのを期待したい。

古本で購入したので、ところどころにメモ書きがある。
的を得ているメモ書き。
これをもとにした小説を書いてみたらとある人に言われた。
ここからはじまる別の物語。
おもしろいなと思った。




  ディベートというのは、
  言いたいことを言うだけではなくて、
  お互いの考え方の違いを認めた上で、
  妥協点があるかどうかを探るというものでしょう。
  話し合いの形を、
  ちゃんとしたディベートにするために、
  暴力は必要だと最初から思っていました。
  力関係が圧倒的に弱く正義がこちらにある場合に暴力は認められると
  チェ・ゲバラが『ゲリラ教程』で言ってるんですけど、
  その点においては彼は正しいと思います。
  それに、
  学校側が想像もつかないような事態を準備しようと思ったし。
  教師たちが思考停止に陥るような方法というと、
  ぼくらには暴力しかなかったっす

  マスコミの世界にいらっしゃる関口さんに対して申し訳ないことを言いますが、
  彼らがまとめたものは、
  わたしの知っている大手の新聞記者の談話のまとめ方よりはるかに正確で、
  わたしが言いたかったことを実にうまく編集していました。
  彼らは、
  コミュニケーションが自明ではなく、
  わかり合えることによりわかり合えないことのほうがはるかに多いということを知っているんですね。
  言葉の行き違いということにも敏感だし、
  ひょっとしたら自分たちはこの人の言ったことのニュアンスを取り違えているのかも知れない、
  という危機感もあるわけです。
  マスコミの人間は、
  自分が知っている情報の範囲内で、
  インタビューをまとめようとします。
  そのせいで往々にして活字になるとニュアンスの違うものになってしまうんです。

  関口さん、
  青臭いことを言うようですが、
  強者というか、
  生態系の中で既得権益を享受している種はもうそこで進化が止まるんですよ。

  後藤はペルーの空気についてえんえんと語った。
  関口さん、
  ペルーは貧しいしリマのスラムは不潔だし軍隊は威張っているし教育水準は低いし
  住むのは本当に大変だけど、
  何て言うか、
  あの空気なんですよ、空気。
  乾いていて、
  朝とか寒さがピンと張りつめていて、
  青臭いことを言うようだけど
  自分のからだと世界の境界がはっきりするような気がするんです。
  自分がここにいて、
  からだの輪郭を包むようにして世界がその周囲にあるって当たり前のことですけどね、
  はっきりとしているんです。
  日本にいるととても過ごしやすいです。
  何となく暖かいし、
  自分と世界の境界が何となくぼんやりとしていて、楽です。
  十二歳のゲリラにライフルで撃たれることもない。
  でもときどき自分が本当にここにいるのかどうかってことが
  曖昧になってしまうことがあるんです。
  自分のからだと、
  外側の世界の境界がはっきりしない。
  自分のからだが溶けてしまって
  自分のからだを確認できないような感じがするときがあるんです。
  外側というか、
  自分のからだ以外のものと自分がどこかで接しているという実感がないと、
  自分のことを確認できないんじゃないですかね。

  おれは悲しい気分になっていた。
  何か無駄な繰り返しが若い頃に必要だとか、
  そういう風には決して思わない。
  安心できるものに囲まれて暮らすほうが平凡だけど幸福なのだとも思わない。
  ただ確かなことがあるような気がした。
  それは、
  無駄なことの繰り返しはおれたちを安心させるということで、
  そのことが妙に悲しかったのだ。
  「ちょっとですが、疲れたんです」
  ポンちゃんはそう言った。
  彼らはこの三年間無駄なことの繰り返しを拒否してきた。
  彼らには無駄なことの繰り返しの痕跡がない。

  「逆で、
  普通の日本人が持っているメンタリティが欠如しているんじゃないかと思うようになりました。
  それが何かうまく言えないんですが、
  要するに、
  上の人にペコペコして、下の人には威張る、
  というようなメンタリティです。
  そういう醜いメンタリティをどういうわけか北海道と沖縄の人は持たずに済んでいるんです」


Memo200904161Memo200904162

出版社/著者からの内容紹介
2002年、一斉に不登校を始めた中学生がネットビジネスを展開し、遂には世界経済を覆した! 
閉塞した現代日本を抉る超大型長篇

| | コメント (0)

2009/04/13

雨はコーラがのめない

Ame20090331_

「雨はコーラがのめない」★★★★☆
江國 香織 (著)




音楽と雨のことを中心に書いたエッセイ。

内容を知らなくて、タイトルを見た時に、なんて隠喩が効いてるタイトルなんだ。と思ったけど、
ここでいう雨というのは江國香織の腹心の友である愛犬だと知って、そしてその雨との出会いを知って、
うわあ、いいタイトルだなあと、タイトルだけで2回感動した。




  重要なのはパワーアップだと思う。
  年と共に技術をアップさせる人はたくさんいるけれど、
  パワーをアップさせられる人は少い。
  声量とか体力のことじゃなく、
  歌唱の「性格」のパワーアップ。

  音楽を聴くためには自分の人生がいる。




内容(「BOOK」データベースより)
かつて私は、しばしば音楽にたすけられました。
いまは雨にたすけられています。
私たちは一緒に暮らし始めて二年三カ月になる。
はじめて雨に会った日のことは、忘れられない。
凍えそうに寒い、十二月の、雨の日だった。
そのすこし前から、私はまるで幽霊みたいに日々を暮らしていて、その日もまるで幽霊みたいに、
雨だというのにデパートの屋上に煙草をすいにのぼった。
なにしろ幽霊なので、雨に濡れても平気だった。
なにがどうなってもいいのだった。
その屋上に、雨がいた。

| | コメント (0)

2009/04/07

クワイエットルームにようこそ

Ku20090330

「クワイエットルームにようこそ」★★★☆☆
松尾 スズキ (著)




映画がおもしろかったので原作を読んでみたらあまり好みではなかった。
文章の繋ぎがぶつぶつ切れていて、()で括られた説明が多い。
長いメモ書きのような・・・こういう形式が読み慣れていないから受け付けないだけかも。
発想はすごくおもしろいんだけど、ちょっとがっかり。




出版社 / 著者からの内容紹介
恋人との別れ話から、薬を過剰摂取してしまった明日香は、意識を失っているうちに精神病院の閉鎖病棟に強制入院させられてしまう。
わたしは「正常」なの、それとも「異常」なの? 
逃げ場のない閉鎖空間を舞台に、くりひろげられる葛藤の世界。冒頭の衝撃的なシーンに始まり、不運に不運を重ねていく明日香は、
果たして絶望の淵に落ちてゆくのか。それとも……。

文芸誌『文學界』2005年7月号に一挙掲載され、第134回芥川賞候補にもノミネートされた話題作!
演出家、映画監督、俳優、作家と多ジャンルで刺激的な試みを続ける松尾スズキが贈る「絶望と再生の物語」。

| | コメント (0)

2009/04/05

きよしこ

Kiyosiko20090325

「きよしこ」★★★★★
重松 清 (著)




吃音症の少年のおはなし。
内に秘めた思いがひしひしと伝わってくる。
どもる言葉を避けてしゃべる、代わりの言葉で遠回りをしてしゃべらなくてはならない。
見つからない時は黙り込んでしまうか、どもって周囲の冷ややかな目線に耐えなければならない。

そして今作で作者である重松清が吃音症だと知ることになる。
話したくても話せなかった言葉も紙に落とせばたくみに操ることが出来る。
その繊細な文章が胸を締め付ける。




  「かなしかった思い出を、三つ教えて。三位から順番に」

  「あたりまえじゃろうが、
  通行人いうても、
  このお話の中でたまたま脇役じゃったいうだけで、
  そのひとにとっては自分が主人公なんよ。
  そうじゃろ?
  みんながほんまは主人公で、
  たまたまお話の中で主人公と脇役に分かれただけのことよ。
  それを忘れたらいけん。
  せめて名前ぐらい、しっかり付けちゃらんか」

  でも、「弱い」と「悪い」はべつに矛盾しない。
  むしろ、同じグループの、とてもよく似た言葉同士なのかもしれない。




内容(「BOOK」データベースより)
少年は、ひとりぼっちだった。名前はきよし。どこにでもいる少年。転校生。
言いたいことがいつも言えずに、悔しかった。思ったことを何でも話せる友だちが欲しかった。
そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたけど。
ある年の聖夜に出会ったふしぎな「きよしこ」は少年に言った。伝わるよ、きっと—。
大切なことを言えなかったすべての人に捧げたい珠玉の少年小説。

| | コメント (0)

2009/04/01

空中ブランコ

Ku20090322

「空中ブランコ」★★★★★
奥田 英朗 (著)




華やかな職業で、ある程度の地位を築いた人達の躓き。
原因が何か分かっているようで分かっていない精神の異常。

わたしも以前、電話が嫌いから、電話がコワイまで発展して、
電源を1日中切って、仕事におもいっきり支障をきたしていた時期がありました。

その時にパッパラパーな伊良部先生に診てもらいたかったな。




「小説って、どうやって書けばいいわけ?」と伊良部。
「思ったことを、正直に。ただし客観的に」つい答えてしまう。
「筋はどうやって練ればいいわけ?」
「それより描写。大事なのは人間を描くこと」

「それでもいい身分だよ。
一億二千万人しかいない日本語圏に、
いったい何人の職業作家がいるのよ。
数百人は禄を食んでいるんじゃない?
編集者にはちやほやされて、
打ち合わせと称しておいしいものを食べて、
アゴ足つきの大名行列をして。
そんな国、
世界中で日本しかないよ。
この国は作家天国なんだよ」

人間の宝物は言葉だ。
一瞬にして人を立ち直らせてくれるのが、言葉だ。
(女流作家)




<内容>
傑作『イン・ザ・プール』から二年。伊良部ふたたび!
ジャンプがうまくいかないサーカス団の団員、先端恐怖症のヤクザ……。
精神科医伊良部のもとには今日もおかしな患者たちが訪れる。
第131回直木賞受賞。

| | コメント (0)

2009/03/30

イン・ザ・プール

In20090319_

「イン・ザ・プール」★★★★★
奥田 英朗 (著)




映画の松尾スズキが強烈で伊良部一郎が松尾スズキにしか思えなかった。
CDJの松尾スズキも今考えれば伊良部一郎に思えて来た。
伊良部一郎のキャラクターがしっかり書かれていて、なんだか漫画を読んでいるような感覚。
伊良部一郎の好き勝手さが突き抜けていて気持がいい。
エンターテインメント性が高い作品にありがちな物足りなさはない。
起承転結が毎回同じなのでリズムを付けて読みやすくあっと言う間に読めてしまう。
奥田英朗はなんて頭の冴えた作家なんだろう。
文章展開のうまさはあっぱれ。
精神病の数だけ短編を書けそうだ。
それぞれの病気の延長線上にある自分に関係なくはないこと。
興味深い作品でした。




内容(「BOOK」データベースより)
「いらっしゃーい」。伊良部総合病院地下にある神経科を訪ねた患者たちは、甲高い声に迎えられる。
色白で太ったその精神科医の名は伊良部一郎。
そしてそこで待ち受ける前代未聞の体験。
プール依存症、陰茎強直症、妄想癖…訪れる人々も変だが、治療する医者のほうがもっと変。
こいつは利口か、馬鹿か?名医か、ヤブ医者か。

| | コメント (0)

2009/03/28

不倫と南米

Furin20070901

「不倫と南米 」★★★☆☆
吉本 ばなな (著)




大人数で取材と称した旅行に行って、その国から感じ取ったことから小説を生み出していく。
羨ましくてたまらない。
世界の旅シリーズは他に「SLY」を読んだ。

SLY感想文
http://wpg.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/sly.html

この本は小説だったり、画集だったり、写真集だったり、エッセイだったりと「作品」としてとても生きる本。

ホットミルクに自分でチョコレートを溶かして飲むサブマリーノってやつが飲みたい。




  次に会ったら、絶対にもう慰めも過去のこととなっている、いつもの二人だ。
  話題にも出ないだろう。
  わかっていた。
  今悲しいのなら、今、そこにいなくては意味はない。
  (日時計より)



Banana200903271Banana200903272


<レビュー>
恋をするなというほうがむつかしい。それは、熱狂と官能の街ブエノスアイレスから始まった。
7人の狂おしい恋と、胸をうつ家族の絆を描く最新小説。
第10回ドゥマゴ文学賞受賞作品。

| | コメント (0)

2009/03/23

アメリカン・ドリーム

Ame20090308

「アメリカン・ドリーム」★★★☆☆
村上 龍 (著)




1985年講談社から出たエッセイ集。

経済についていまいち興味が出てこない、詳しくないから経済についての記述を読むのは苦痛だった。
関心を持てたならもっと楽しめただろうと思う。
他はおもしろかった。
本当に村上龍はサディストですね。

失敗に終わったと知っているけれど、映画「だいじょうぶ・マイフレンド」は観たいと思う。




  私は、生命力そのものを表現したいと考えている。
  国家とか土地とか血縁とか家族とか性とかモラルとか経済とか戦争とかを含んで、
  さらにそれらを超えて、すべての歴史や現象を引き起こし、
  モラリストや社会学者の基となっている生命力をテーマにしたいと常に考えている。
  文学においては、生命力はスペクタクル—衝突を生み出すものとして扱われる。
  生命力が、圧迫を受け、爆発して、矛盾や嘘を暴き、
  リアルな問いを露にしていく。
  言語はそのような作業に適している。

  私には頭に描く理想のセックスライフがあった。
  第一に手間がかからないこと、
  つまり食事や映画やボウリングや公園での求愛が不要なこと、
  第二に喋る必要がないこと、
  第三に射精と同時に女は帰って朝は一人で目覚められること、
  第四に毎晩違う女でしかも美人であること。
  リオに行った時、売春婦達のあまりの美しさに、
  自分の夢を試してみることにした。
  娼婦だからすぐ契約できるしポルトガル語だから喋ることもできないし、
  終わったら出てけと行けるし、すごい美人ばかりだったのだ。
  六日目の朝に、極度の不安状態で目覚めてしまった。反省した。
  やはりセックスにおいても言葉は必要なのだと思った。
  いたわりや愛情のないセックスは心身を疲れさせるということに気付いた。

  最初にSMと出会ったのは、幼稚園の頃で、私の隣家にオンリーが住んでいた。
  オンリーというのはパンパンよりちょっと偉い娼婦で、
  いわゆる将校専有の愛人みたいなもんだ。
  その愛人と白人将校の変態的なセックスを私は五歳の頃、よく覗き見していた。
  ひどいだろ?

  「すべてはあっという間にファッションになってくんだよ」

  つまり、人間の悪い癖だよ、
  現象を自分の情報だけで判断してしまうんだ。

  あのね、現象の中に意味を探しちゃうんだよ。
  現象だけではなくてね、小説の中にも、絵の中にも、映画にも音楽にも演劇にも、
  意味を見つけようとするのが近代人なんだから。
  本当はそうではなかったんだけどね。
  快感とか代償とか刺激とか鎮静とか目的に作られていて、
  意味なんかないのに、意味を読み取ろうとするんだ。
  間違ってる。

  表現者はみな幼児だからね。
  石につまずいて転んでも、悪いのは世界だと叫ぶことがよくある。

  どこの国でもそうなのだが、宗教は、貧しい人々の、唯一の娯楽だったのだ。

  熊は、頭が悪いために、それらを開発できないのではなく、
  必要としないのだ。
  熊は、「自分の生命」と「自分の種の保存」のためだけに生きている。
  そこには、幸福も不幸もない、
  「生きがい」を求めることもない、
  シンプルで、美しい、生命体としての法則があるにすぎない。




出版社/著者からの内容紹介
佐世保でのGIとの出会いからエンタープライズ闘争、基地の町福生での生活と、絶えずアメリカと対峙してきた著者が、アメリカとは何か、
そしてそれと分ちがたく結びついている日本文化とは何かを鋭く問いかける。
「アメリカが世界だ」と言い切る著者が“父なるアメリカ”への思いを熱く綴ったエッセイ集。

| | コメント (0)

2009/03/12

人魚姫

Ningyo20090121

「人魚姫」★★★★★
アンデルセン (著), 清川 あさみ (イラスト), 金原 瑞人 (翻訳)




昨年の誕生日に友人に頂いた本。
最近はレビューをよく書くせいか、本を頂く機会が増えてとてもうれしいです。

この本は何度も開いているけれどまったく飽きることが無い、開く度にため息の出る美しい本です。

布、レース、ビーズ、スパンコール、
刺繍というその表現方法を使いこなす清川あさみの碧に溺れる。


Kiyo20090312

| | コメント (0)

2009/03/11

あたしが海に還るまで

Atashi20090303

「あたしが海に還るまで」★★★★☆
内田 春菊(著)




私は今まで気分が悪くなる話は評価を下げていましたが、
文章が下手でそうなるのではなく、文章の力によって起こることなので、
やっぱりそれって文学的には優れているってことだよなと読み方が変わって来ました。

前作「ファザーファッカー」の続編。

自伝的小説。




内容(「BOOK」データベースより)
自儘な性暴力を続ける義父と、見て見ぬふりをする実母に訣別し、16歳で家を出た主人公・静子の凄絶な青春時代。
逃避行、東京への出奔、セックス、中絶、旅館の住み込みからスナックのホステスとなり、マンガ家や歌手への夢を抱いて再び上京、
レーサー崩れの男との結婚・破局まで、激流のような、辛苦と希望が交錯する日々。

| | コメント (0)

2009/03/07

ストレイト・ストーリー

Su20090303

「ストレイト・ストーリー」★★★☆☆
村上 龍 (著), Ralph F.McCarthy (翻訳)




デヴィッド・リンチ監督の映画を基に村上龍が書き下ろした物語。
絵ははまのゆか。大人の絵本。
最後に英文が収録されています。

原作から映画になることはあっても、映画から書き下ろすというのはどういった経緯があってのことなんだろう。
映画を観ていないし、調べてみても詳細が載っているサイトも見つけ出せていないので、疑問がいくつも浮かびます。

『ストレイト・ストーリー』(The Straight Story)は、デヴィッド・リンチ監督のロードムービー。
アイオワ州ローレンスに住む老人が、時速8kmのトラクターに乗ってウィスコンシン州に住む病気で倒れた兄に会いに行くまでの
物語である。
1994年に「ニューヨーク・タイムズ」に掲載された実話を基にしている。
(Wikipediaより)

車で行けば、人の力を借りれば、あっという間に済んでしまうものごとを、芝刈り機という歩いた方が速い乗物に乗って、立ち上が
ることもままならない老人が350マイルを6週間かけて旅をする。

時間をかけて旅をすることでその目的への心の準備がうかがえる。

世の中にはゆっくり時間をかけて大事にそのひとつのものごとをやりとげることに喜びを感じる人がいる。
また、そうせざるを得ない人がいる。

ああ、鈍行で旅に出たいなあ。




<出版社/著者からの内容紹介>
73歳のアルヴィン・ストレイトは、兄に会うため—時速8キロのトラクターに乗って6週間の旅に出る
──全米で感動を呼ぶディヴィッド・リンチ監督の映画を基に書き下ろした、ファンタジックな物語。

| | コメント (0)

2009/03/04

空の香りを愛するように

Sora20090301

「空の香りを愛するように」★★★☆☆
桜井 亜美 (著)




蜷川実花の写真に惹かれて
「空の香りを愛するように」
「チェルシー」
「マーメイドスキンブーツ」
「R.I.P.」
の四冊を購入。
たしか一昨年のこと。
買って満足している本がまだたくさんある。
どんどん消化していきたい。

10代の頃、桜井亜美を好んで読んでいた。
主人公と同年代であることで共感出来る部分が多かった。
でも今読むと、文章が分かりやすいがために少し物足りなかったりもする。
思春期の頃の自分を振り返るのが嫌だというのもある。

同作は前半に衝撃的なことが羅列されすぎていて、
重大なことをとても軽薄に扱っているかんじがする。
冷めきっている目線がちょっと受け付けなかったけれど、
後半の同性愛についての書き方は好き。

鵺の描写がゾッとした。

岩井俊二がプロデュースした桜井亜美原作の映画「虹の女神 Rainbow Song」は近いうちに観たい。




内容(「BOOK」データベースより)
集団レイプに巻き込まれた綾渡紅葉は、不可思議な生命体を身ごもってしまう。
最愛の恋人・コウとの破局の不安に怯えながら、復讐の機会を待つ紅葉の前に、赤いジャンパーを着た少年が現れた。
「鳥の影から逃げないで。逃げたら、一番大切なものを失う」
ミツルと名乗るその少年が残したメッセージを頼りに、紅葉は暗闇の中を歩き始めた—。
決して失われることのない恋の形を描いた最新小説。

| | コメント (0)

2009/03/02

年下の女友だち

Toshisita20090223

「年下の女友だち」★★★☆☆
林 真理子 (著)




久々の装丁買い。
装画は綱中いづる。

イラストレーター竹下エミ子に相談を持ちかける年下の女たちの話。

第一話 七美
第二話 かおり
第三話 こずえ
第四話 葉子と真弓
第五話 いずみと美由紀
第六話 美和子
第七話 沙織
第八話 日花里

女性誌の後ろの方に載っているような「おんな」の相談。
読みやすいです。
登場人物達のバックボーンが似たり寄ったりなのが気になりました。




内容(「BOOK」データベースより)
有名イラストレーターの「私」のもとには、それぞれの秘密を抱えて今日も女たちが訪ねてくる…。
容姿も性格も悪くないのに縁遠い、七美。
美しい男しか愛せない、地方の大富豪の娘、かおり。
三十過ぎても不倫から足を洗えない、こずえ。
「私」のかつての夫とつきあっている葉子。
幸せになりたい—。
このシンプルな欲望に、“運命”という言葉を巧みに操ってつき進む女たちを描く、連作短編集。

| | コメント (0)

2009/02/28

みずうみ

Mizuumi20090222_

「みずうみ」★★★★☆
よしもと ばなな (著)




小説で泣いたのは久々だなあ。
泣く予定のない、急にやってくる、沸き上がってくる涙は久々だなあ。
小さかった中島くんが、何が正しいのか分からないまま、何が間違っているのか分からないまま逃げ出した時のくだりがたまらない。
いつも一緒にいた人たちを悪だと悟った時、悪だと認めてしまった時のやるせなさ。
宗教は解釈がむずかしい。洗脳はおそろしい。
何を悪として何を善とするのか、そしてそれに巻き込まれた幼い者はこれから何に救いを求めるのか。




  「人の大変な話を聞くということは、
  もう、
  お金をもらったのといっしょで、
  絶対にそのままではすまされないよ。
  聞いたという責任が生じてしまうの。」

  「ここでは、
  カウンターに座って品よく飲むという以外に、
  ルールはないわ。
  どんなことをしゃべっても、
  いいの。
  普通は言わないこととか、
  社会ではよくないとされているだとか、
  関係ないわ。
  だってここはお金を払って、
  心の自由を買いにくるところなんだもの。」




内容(「BOOK」データベースより)
大好きなママが、パパとの自由な恋をつらぬいてこの世を去った。
ひとりぼっちになったいま、ちひろがいちばん大切に思うのは、幼児教室の庭に描く壁画と、か弱い身体で支えきれない体の重荷に苦しむ中島くんのことだ。
ある日中島くんは、懐かしい友だちが住む、静かなみずうみのほとりの一軒家へと出かけようとちひろを誘うのだが…。
魂に深手を負った人々を癒す再生の物語。

| | コメント (2)

2009/02/26

現代アートビジネス

Art20090215

「現代アートビジネス」★★★★★
小山 登美夫 (著)




小山登美夫氏が24歳の頃、進路を決めないまま大学を卒業し、夜は銀座八丁目のクラブ「繭子」でバーテンのアルバイトをして
日々を過ごしていたというのがとても意外で驚いた。
親が画廊をやっていて、そのままトントン拍子でギャラリストになったと勝手に思っていた。

この本、現代アートに興味のある人は絶対読んだ方がいいです。
私ももっと早くこの本に出会っていたかったな。

TOMIO KOYAMA GALLERY
http://www.tomiokoyamagallery.com/
TOMIO KOYAMA GALLERY blog
http://tkgallery.exblog.jp/




  ギャラリーとは単なるハコではなく、
  ギャラリストが全感覚を注いで発掘し、
  温めてきたアートを、
  アーティストと共演するライブステージです。
  ギャラリストは裏方でも黒子でもなく、
  現代アートのパフォーマーの一人なのです。
  (コラム 時代をつくったギャラリスト より)

  僕は奈良さんにこんな質問をぶつけたことがあります。
  「奈良さんの絵はイラストとどう違うの?」
  答えは思いのほか明快でした。
  「僕は描きたいものしか描かないよ」




内容紹介
「現代アートの世界はよく分からない」という方も多いのではないでしょうか?
とくに、その「価値」がどこにあるのか、それがどのように値段に反映されて「商品」になっていくのかは、とても見えにくいものです。
本書では、数々の若手アーティストを発掘し、日本発の新しいマーケットを築いてきた著者が、豊富な経験をもとにそれらをわかり
やすく説いています。
アーティストになりたい人、ギャラリストなどアート関係の仕事に就きたい人、アートで儲けたいと思う人、アートを見るのが好きな人、
みなが良い意味で刺激を受けるはずです。

| | コメント (0)

2009/02/20

名画感応術—神の贈り物を歓ぶ

Yokoo20090206

「名画感応術—神の贈り物を歓ぶ」★★★★☆
横尾 忠則 (著)




知性ではなく直感をフルに動かしたアートの楽しみ方—「感応」
横尾忠則的絵画評論。




  画家が一生を通じて制作する作品は
  そのテーマのいかんにかかわらず、
  絵による自伝といっていいだろう。
  ピカソは自らの作品を日記と呼んでいるが、
  これも自伝である。
  結局は「私的」なものが創作の核にならざるを得ないのである。
  いくら「私的」なものや「感情」を拒否しても
  人間はそこから離れられないのではないかと思う。

  よく作品解説などを読んで初めて感動したという人がいるが、
  それは感動ではなくて単に知識の理解で「わかった」のである。
  このような人はじつに困ったもので、
  極端な言い方をすると、
  眼の前に美しい夕日があってもまったく感動しないかもしれない。
  ところが夕日評論家みたいな人がいて、
  夕日がいかに美しいものであるかを
  自然科学的な知識によって解説されたら、
  初めて「凄い」と思うのである。

  安全な芸術なんてそれは芸術とは呼ばない。
  単なる美術である。
  常識や制度に従おうとするのは芸術行為ではない。
  むしろ常識や制度に反発する行為こそ芸術の使命である。

  ミロが凄いな、と思ったのは、
  こんなエピソードを読んだときからだった。
  そのエピソードというのは画面の地肌を作るために、
  ミロは白いキャンパスの上に自ら排尿をして、
  もう一枚の同寸の新しいキャンパスをその上に重ねて、
  押しつけて、
  排泄物がべちゃっとつぶれてできた模様を太陽で乾かして、
  それを地肌にしてその上に絵を描いたというのだ。
  このエピソードは、
  まるで作り話のように思えるが
  たぶん本当の話であろうとぼくは思う。
  というのはミロだけに限らず、
  アメリカのポップアートの旗手であった
  アンディー・ウォーホルだってキャンバスに放尿して、
  その飛沫でできた抽象的な形状によって作品を制作しているので、
  ぼくはとくに驚かない。
  かくいうぼくもエロチックな作品を描いていると、
  ついつい身体が熱くなって、
  とうとう画面に精液を塗りたくってしまったことも
  二度、三度あるからだ。




内容(「BOOK」データベースより)
絵は特別の人にしか理解できないのだろうか?
知的に認識することが必要なのだろうか?
芸術とは本来、神が人間の身体を通じて具現化されたものであり、万人の塊を開花させるもの。
誰でも心を開けば、作品から無限の歓びを得ることができる—。
ピカソ、ゴッホらの名画を通じて、絵画を“感応”するための取引を贈る横尾流アート・エッセイ。

| | コメント (0)

2009/02/13

生きものたちの部屋

Ikimono20090204

「生きものたちの部屋」★★★★☆
宮本 輝 (著)




  「こんな何気ないことでも、宮本輝さんが書きはると、
  みんな短編小説みたいやなあ」と、
  つくづく思った。
  たぶんその理由の一つは、
  一つの素材から、
  ふっと次の素材へとスライドしてゆくときの、
  関係のつけかたや取り合わせかたの妙味にあるのだろう。
  (解説 俵万智)


この本はどうして買ったんだっけ?
ああ、そうだ、一度だけ仕事をした人に宮本輝を激プッシュされたんだった。
その人は休みの日には家から一歩も出ないで、天井や壁と話をすると言っていた。
不思議な人だった。
読書家の人は変わった人が多いので、腹を割って話をするととてもおもしろい。
今思えば、その人は宮本輝同様パニック症候群だったのかもしれない。

不思議な人から勧められた本は、湯船に落っこちてびっしょびしょになった。
乾いたあともふにゃふにゃでばりばりでページが捲り難かった。

阪神大震災の日記も収録されている読み応えのあるエッセイ。


宮本輝の小説家を志した理由がかっこいい。

“雨中に立ち寄った書店で読んだ某有名作家の短編小説があまりに面白くなかったため、
これで金がもらえるならと退社して小説を書き始める。”




  言うまでもなく、
  無から有を生じるといった類いの仕事は、
  つまるところ、
  絶対的な意志力と生命力だけが頼りである。
  だから、
  本当は、
  <書いてみなければわからない>
  などとうそぶいているあいだは、
  いつまでたっても亀の歩み以上には進まないものなのだ。

  「小説なんて、自分で書くもんやないで。
  あれは、人が書いたものを読むもんや」




内容(「BOOK」データベースより)
締切の夜、書斎は険しく暗い。しかし一人ではない。
開け放った窓に響くトラックのエンジン音や、本棚におさめたドイツ製のクレヨン…。
何気ない物事がいのちを帯びて、わたしのペンを鼓舞し、触発する。
わたしは今夜も、彼らに囲まれてペンを走らせる。
—その書斎は、後に阪神大震災によって壊滅した。追憶の思い新たに、震災時の日記を併録する。

| | コメント (0)

2009/02/09

パン屋再襲撃

Pan20090203

「パン屋再襲撃」★★★★☆
村上 春樹 (著)




村上春樹にとって短編は実験の場。
「ワタナベノボル」が気になって仕様がない。




イラストレーターの安西水丸とは村上のキャリア当初から親交があり、エッセイ集『村上朝日堂』シリーズをはじめ、
ショートショートの挿絵など、数多くのイラストを担当している。
小説以外のテーマでよく対談があり、コミカルな話題で盛り上がっている様子が伝わってくる。
本名の渡辺昇(ワタナベノボル)は短編集『パン屋再襲撃』では「ねじまき鳥と火曜日の女たち」において、
猫の名前・妻の兄の名前で「ワタナベノボル」として使われている。
そして「パン屋再襲撃」「象の消滅』「ファミリー・アフェア」「双子と沈んだ大陸」でもワタナベノボルが登場する。
そして長編『ノルウェイの森』では「ワタナベトオル」と名を変え、『ねじまき鳥クロニクル』でも「ワタヤノボル」となる。
村上自身の言によると、安西は「尊敬まではできないけれど、ある種の敬意にはじゅうぶん値する」人物。
(Wikipediaより)




  二枚目の写真は日本に帰ってきてからのものだった。
  今度のはコンピューター技師が一人で写っていた。
  彼は皮のつなぎを着て大型のバイクにもたれていた。
  シートの上にはヘルメットが載っていた。
  そしてサン・フランシスコのときとまったく同じ顔をしていた。
  他に手持ちの表情がないのだろう。

  「良い面だけを見て、
  良いことだけを考えるようにするんだ。
  そうすれば何も怖くない。
  悪いことが起きたら、
  その時点で考えるようにすればいいんだ」
  (ファミリー・アフェア)

  八十パーセントの事実と二十パーセントの省察というのが、
  日記記述についてのポリシーだ。
  (ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵略・そして強風世界)

  「人が死ぬのって、素敵よね」と娘は言った。
  (ねじまき鳥と火曜日の女たち)




内容(「BOOK」データベースより)
彼女は断言した、「もう一度パン屋を襲うのよ」。
学生時代、パン屋を襲撃したあの夜以来、彼にかけられた呪いをとくための、このたくらみの結果は…。
微妙にくい違った人と人の心が、ふとしたことで和んでいく様子を、深海のイメージによせて描く六作品。
ところで、いろんな所に出てくる〈ワタナベ・ノボル〉とは何ものだろう?

| | コメント (0)

2009/02/06

永すぎた春

Nagasugita20090127

「永すぎた春」★★★★★
三島 由紀夫 (著)




人間の感情の出現の仕方の専門書なのかこれは。
体験しないと分からないであろう感情の細密な描写。

今は亡き十返肇氏に言わせると、
三島文学には、“人に気を持たせる”ような意地悪さがある。
人工的な作品。
とのこと。

代表作を読み漁りたい。




  『この娘はどうあっても、結婚まで大事にしておかなければならない。
  指一本触れてはならない。
  僕のやるべきことは、早くつた子の体を知った上で、
  一日も早く、百子のために、つた子を捨てることだ。
  よし!そう決めたぞ』
  こんな考えには、
  肉体と精神の分裂した青年の観念的な考え方がいかにも露骨に出ていた。
  それは世間で現代青年の特徴と言われているものだが、
  いつの時代でも青年にはそういう傾向があり、
  明治時代の青年は娼家通いで肉体的欲望を処理しつつ、
  天下国家を論じただけの差があるだけだ。
  その当時の女には、
  素人と玄人の二つの別しかなかった。
  邦雄は、こんなわけで百子の「清純さ」を、
  自分の浮気の言訳にするという、
  月並な心理を辿りつつあった。

  百子は郁雄の中に、
  とんでもない残忍性をでも発見して怖くなったのであろうか?
  そんなことはない。
  彼女が発見したのは、
  郁雄の弁明しようのない弱さ、
  彼自身がいつもそれと戦って、
  それをひた隠しにして来た弱さに他ならなかった。
  自分の恋人を弱者だと感じることぐらい、
  女にとってゾッとすることがあるだろうか!

  彼はぼんやり、いろんな小説を読んで暮していた。
  人の書いた小説も、自分が今までに書いた小説も、
  目前の人生については何の解決も与えてくれなかった。
  『自分が小説的事件の渦中に入ってしまうと、小説家ほど無力なものはないな』
  と東一郎は考えた。
  『それとも無力なのは、
  俺がまだ修行中で、小説家の資格がないためなのか?
  一人前の小説家だったら、
  自分の人生の困難な問題を、
  ふつうの人よりずっと巧く処理することができるのだろうか?』
  その点は東一郎にもわからなかった。
  しかし彼の心には、
  今まで一生けんめいかじりついてきた文学そのものに対する、
  疑いが兆していた。
  自分の才能に対する疑いと、
  文学そのものに対する疑いとがゴッチャになっていた。
  大体この「雲の上人」は、
  他人の心なんかわからない人間だった。
  そういう人間が小説を書きだすとは不思議なことだが、
  おそらく他人の心のわかりすぎる人間は、
  小説なんか書かないのであろう。

| | コメント (0)

2009/01/30

蝶番

Moca20090125

「蝶番」★★★★★
中島 桃果子 (著)



鮮やかな色とりどりの言葉たちがリズムに乗ってやってくる。
香りながら集まってくる。
こぼれ落ちた感情を拾って読むのはなんて楽しいのだろう。

ページターナー型の作家がまたひとり誕生しました。
でもね、読み進めるのがもったいなくさえ思うんだ。
ほら、好きなものってあとにとっておきたくなるものじゃない。

わたしはすっかり中島桃果子のファンになってしまった。




  釜炒り茶の一煎目は丸い。
  二煎目は少し尖って。
  三煎目はドルチェ。


Chou20090128

誰かと生きていくしかない。鬱陶しくも、愛しいことに。29歳の鮮烈デビュー!

東京に今年三度目の雪が降った日、四姉妹の長女・艶子は家出した。意味不明のメモを残して。
姉妹の語りと日記から浮かび上がってくる、四人それぞれの息苦しさと生きにくさ。
「わからないもの、としての人間がちゃんといて、瑞々しく、ときに鋭く、切り込んでくる」と江國香織さんが一人で選考し、世に送り出す長篇小説。

| | コメント (0)

2009/01/29

8万文字の絵—表現することについて

Hibino20090125

「8万文字の絵—表現することについて」★★★★★
日比野 克彦 (著)




日比野克彦氏の作品のテーマである「身体記憶」「境界」「ズレ」「時間」などについて綴られています。
哲学的な内容で新しい発見の連続。
アーティストの書く文章は何故こんなにおもしろいのか。

わたしも頭をからっぽにして、
数字という形を持った自分の線を1から1522まで描いて、
一枚の絵を描きあげたい。
自分の線を見つけるのだ。




  今、字を書かない人はいないだろうが、
  絵を描かない人は大勢いる。
  大昔は、字は書かなくても絵は描いていた。
  だから、本当は絵のほうが簡単なのである。
  赤ん坊だって、字を書く前に絵を描くのである。
  ということは、
  字を発明した人は、絵を元にしている訳であり、
  字の中には絵が隠れているのである。
  ということは、
  字で一枚の絵を描いているということなのである。

  理解したりコントロールできる範囲は狭く、
  したがって「わかる」ことより、
  「わからない」ことに活躍の場を与えたほうが、
  すなわち身体感覚を意味や言葉より優先させる機会を持つことが、
  より理解の範囲を拡げることにつながるのである。

  実際に作品を生み出すのは手だから、
  いくら頭や目が先行しても、
  素材との関係で手の了承が得られないことには作業が始めにくいし、
  手の動きや感触しだいで最初のプランとは異なるものができることがある。
  ものをつくっている時の手の働き、
  手が感じている感覚、手が持っているこれまでの経験値、
  それらが対象を造形しながら、
  目でその出来具合を確認、修正していく。
  視覚と聴覚が別々に働いているのではなくて、
  それぞれが情報交換しながら、
  その相互的な身体感をもとに作品がつくられていく。
  手と目の交流ややりとり、
  その相互性は制作、創造の上において重要なことである。
  ものをつくるというのは身体性に荷担するところが強い作業である。
  いつも身体にフィードバックさせながら創作していかないと
  リアリティーのない思考だけの作品になってしまう。

  絵を描く、ものを表現するということは、反射神経である。

  絵とか文字は要するに線の集まりである。
  ペンキ塗りみたいにベタの面を筆で塗りつぶしていても、
  筆の毛の一本一本のタッチが残っている。
  絵が線の集合なら、
  自分の線の発見は自分の絵の発見につながる。

  パブリックなスペースであるデパートと、プライベートなスペースであるアトリエ。
  同じ物がある空間なのだが、
  並び方が違うだけで、パブリックとプライベートの差ができてしまう。

  絵を描くには、設計図もなければ制作順序を示す予定表もない。
  しかし、手は勝手に動いていき、作品へと仕上げていく。
  未完成なものを完成に近づけることを制作と呼ぶならば、
  制作の過程は未熟者への指導であり、病人への治療である。
  制作過程では、
  作品の弱い所を強くしたり、削除したり、
  時には健康なところにわざと傷つけ、
  より強度をつけたり、
  はたまた移植手術を行ったりする。
  制作するきっかけには、
  必ず病んでいる所、
  欠陥の所があるからなのである。
  つまり、絵を描き始める以前の、
  絵を描く人の中にある病を治すために制作するのである。
  絵を描く事は作者にとっての治療である。
  平らな所に山を築くのではなく、
  穴を埋める行為の結果が山になることである。

  10歳になる時、やばいと思った。
  もう、一ケタには戻れないと。
  時間の伸縮は、自分でコントロールできるようになる。
  体外時間で過ごす時と体内時間で過ごす時の使い分けや切り替えができるようになる。

8man20090128

内容(「BOOK」データベースより)
「生きることとは、表現すること」—デビュー以来、既成概念にとらわれない軽やかで自由な発想から、
常に「日常」に視点をおいたアートを展開してきた日比野克彦が、今度は「言葉」という作品に挑戦する。
「身体記憶」「ズレ」「時間」など、数々の創作のテーマとなってきた事柄について、何を考え、何を表現しようとしていたのか。
「表現する」とは、「感性」とは、そもそもどういうことなのか。
ありきたりの日常を、新鮮な驚きにみちたワンダーランドへと導く一冊。

| | コメント (0)

2009/01/28

イルカ

Iruka20090125

「イルカ」★★★★☆
よしもと ばなな (著)




細長い本。
こだわりの感じられる装丁。

何故か短編を読んでいる感覚で、突然終わってしまうんじゃないかとそわそわしながら読み切った。

剥製についての考え方が変わりそう。
生きていたものは土に還してあげないとなと思う。

今月の頭に二年三ヶ月をともにしたジャミチュー(カラーハムスター♂)の元気がなくなり、動物病院に連れて行きましたが、
もうすぐ寿命とのこと。
スポイトで薬とポカリスエットを与えていたら自力でご飯を食べられるくらいに回復しましたが、黒々としていた毛に艶はなくなり、
白毛が混じり、目もたまにしか開けられず、よろめきながら歩き、ときどきひっくり返るその姿は痛々しく、生について考えさせられます。
確実に死に向かっている生き物を前に、出来ることは限られており、己の無力さを知る。
もし、他界したときには剥製にして手元に置いておくという馬鹿気た考えを持っていたことを恥ずかしく思う。




  ある年齢になると、人は鷹揚さや気まぐれさを殺す。
  しかし私はどうしてもそれを殺したくなかった。
  何の役にも立たないとわかっていても、
  それは私の魂の根っこにつながったある種の華麗さ、
  派手さそして生命力の象徴だった。
  ある瞬間、突然何かをしたくなる、
  また何かをやめたくなる。
  そのときの気持ちこそが私にとって生きている証だったのだ。
  その結果、私は小説家になるしかなかった。

  「うちのおふくろは、つまり愛人だったわけでしょ。
  だから心の中ではいろいろあったと思うのね。
  でも、そういうのを無理して出さないわけじゃなくて、
  ほんとうになかったわけ。
  彼女には今しかなかったというか。
  にこにこしててね。
  だから、それが誰であれ、
  女の人がぐっと濃くなってせっぱつまってくると、
  どんなにいいふうにふるまっていてもどうしても俺にはわかってしまい、
  『底が割れたな』と思ってしまうんだよ。
  そうすると急に冷めてしまうんだ。
  たいていはそうやって終わってきたね。
  あとは自然消滅とか。
  俺、だいたいめったに女を好きにならないし。」

  そこにやってくる女の人たちはみんな、
  笑っていてもすねていても怒っていても、
  どんなに親しく身を寄せていてもいつも人の顔色を見ていることはかわりなかった。
  ほとんど超能力かと思うくらいのものすごい繊細さと、
  ものすごい鈍感さが同居しているのが共通する特徴だった。
  そして笑顔の下にはいつでも煮えくりかえる怒りのカオスを秘めていた。

  ここの持ち主が締め切りでぴりぴりしていないときにここに入っていたなら、
  彼も敏感なのできっとわかっただろうと思う。
  作家とはそういうものだ。
  炭坑のカナリアみたいに、
  空気を人よりもほんの少し先に感じるのだ。

  「ほんとうのほんとうに心配なのは、
  しっかりして見えるお姉ちゃんのほう、
  下の子は意外にしっかりしてるし臆病だから大きくはずれない」




内容(「BOOK」データベースより)
恋人と初めて結ばれたあと、東京を離れ、傷ついた女性たちが集う海辺の寺へ向かった小説家キミコ。
外の世界から切り離された、忙しくも静かな生活。
その後訪れた別荘で、キミコは自分が妊娠していることを思いがけない人物から告げられる。
まだこの世にやってきていないある魂との出会いを、やさしく、繊細に描いた長編小説。

| | コメント (0)

2009/01/25

号泣する準備はできていた

Goukyu20090125

「号泣する準備はできていた」★★★★☆
江國 香織 (著)




人々が物事に対処するその仕方は、つねにこの世で初めてであり一度きりであるために、びっくりするほどシリアスで劇的です。
たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備ができていた。
喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。
(あとがきより)




年齢を重ねて酸いも甘いも知りつくしたとき、主人公たちの年齢に達したときにはじめて、この本を理解できるようになるように思う。
隣に、手に届く範囲にあったものが、静かに崩壊していく過程。
さらりとチクリと刺す。
見えにくい棘。




  私は独身女のように自由で、既婚者のように孤独だ。
  (洋一も来られればよかったのにね)

  隆志は健康な魂を持っている。
  私はそれが好きだ。
  でも、
  一人の男をちゃんと好きでいようとするのは、
  途方もない大仕事だ。

  『ユキムラアヤノここに没す。強い女だったのに』
  というのだ。
  でもほんとうは、
  そのときはすでに、
  号泣する準備はできていた。
  (号泣する準備はできていた)

  そのとおりだ。
  年齢がひと桁だったころは、
  人間が恐ろしいものだと知っていた。
  たとえ肉親でも、
  自分以外の人間の心の中は深い闇だとちゃんと知っていたのだ。

  何かがひどく間違っている。
  でも一体何がいけないというのだろう。
  新村さんは、
  離婚をまっさきに私に知らせてくれた。
  それのどこがいけないのだろう。
  私たちは二人で、
  離婚を達成したと思っていた。
  (そこなう)




<出版社/著者からの内容紹介>
体も心も満ち足りていた激しい恋に突然訪れた破局、その絶望も乗り越えてゆくよすがを甘美に伝える表題作、等12篇。
濃密な江國香織の世界に浸れる待望の短篇集。
第130回直木賞受賞作品。

| | コメント (0)

2009/01/17

第4回 新潮エンターテインメント大賞贈呈式

Moca200901151

素晴らしいスピーチだったなー。本当におめでたい!

Moca200901153

照明が落ちてDuwrite Mayのお二人の生ライブ。 涙ちょちょぎれる!

Moca200901154

立食パーティーで食べるのは格好悪い的なことを山田詠美のエッセイかなにかで読んでいたので、最初は格好つけて(ついて
ないけど)飲むだけにしてたけど、モカファミリーがあんまり美味しそうに食べているので結局バクバク食べた。へへへ。

Moca200901155

目にもおいしいお料理がずらり。

Moca200901156

中島桃果子「蝶番」
加筆しているようなので、読み終わったら普通にレビュー書きます。

Moca200901157

モカファミリー。妹ちゃんたちかわいいなー。

Moca200901159

記念撮影。ぱちり!

Moca2009011510

にく!

Moca2009011511

みんなでご飯楽しいな。ごちそうさまでした!

| | コメント (0)

2009/01/14

縷縷日記

Ruru20090111

「縷縷日記」★★★★★
市川 実和子 (著), eri (著), 東野 翠れん (著)




とっても気になるこの3人。

本屋さんに行く度に、この本が目につく度に、ぺらぺらページをめくってはため息をついていた。
じっくり時間をかけて読みたくてついにこの子を家に連れて帰った。

「縷縷日記」完璧な一冊。

あ〜 かわいい かわいい かわいい

大人になってからの交換日記は絶対に楽しい。
わたしもまた交換日記したいな〜

Ruru20090114

<出版社/著者からの内容紹介>
市川実和子、eri、東野翠れん、3人のあいだでこっそりと回されていたヒミツの“交換日記”。

女優、デザイナー、フォトグラファーとして、それぞれ方法は違っても、共通するかわいらしい表現と豊かな世界観、ファッショ
ンセンスで、3人は今、女の子憧れの的です。

普段から仲良しの3人が、日常を縷縷と、おとぎ話のように綴った、日記エッセイです。

| | コメント (0)

2009/01/12

ぶるうらんど

Bu200812171

「ぶるうらんど」★★★★★
横尾 忠則 (著)




横尾忠則、初の小説。

ほぼ妻との会話で成り立っている「ぶるうらんど」

「CHANELの女」の登場人物が書いた小説「アリスの穴」

死後の世界が鮮やかに描写されている。

こんな小説読んだことない。




***************************************************************
「うーん、駆け込み寺か。小説を読んで救われる者がいるかと思うと、小説を書くことで救われない小説家もいるってわけか」
「私、文才などなくってよかったわ」
「そうだな、結局小説にしろ他の芸術にしろ、創造というやつは現実からの逃避なんだよ」
「逃避できるものがあるだけ、あなた幸せじゃないですか」
「俺みたいなイライラ屋は創作に打ち込んでいなかったら、とっくの昔に首を括っているよ」
(ぶるうらんど)

「画家は自然を相手にできるから羨ましいですね」
彼は色彩でいえば灰色のような人生の苦悩を売り物にしている小説家という職業を思わず恥じた。

『そっちの絵みたいにきれいな所よりも、好き勝手に思うような生き方のできる東京のごみごみした汚れた空気を吸って生きて
いる方があたしには似合っているの。あたしにとってはここが天国なのよ』

「女は存在そのものが芸術やから、男を楽しませてくれるだけでええのや。せやから男は女でちゃんと修行させてもらってます
わ。男にそのチャンスを与えてくれとる女は功徳を十分積んでおるんやから、それでええんや、心配せんかてええ」
「小説なんてこの私だって書いているんだから、女性の感性は小説に向いていますよ」
(CHANELの女)
***************************************************************


Yokoo20090111

内容(「BOOK」データベースより)
まずは「ぶるうらんど」に面食らい、次に「アリスの穴」で出口の見えない迷路に迷いこむかもしれません。
ただ、そこであきらめないでください。
「CHANELの女」で点が線へ、「聖フランチェスコ」では線がついに面となり、さらにその先の次元へと誘ってくれます。
横尾忠則、初小説!誰も見たことがない、永遠の愛の物語。

| | コメント (0)

2008/12/20

post no future —未分化のアートピア

Post200812171

「post no future —未分化のアートピア」★★★★☆
工藤 キキ (著)




現代美術を語る本は頭ガチガチなものが多い中、全てに共感出来るわけじゃないけれど、工藤キキのしゃべり言葉の文章が
スルッと頭に入ってくるので、知らなかったアーティストにも興味がわいてくる。
そう、批評ではなく感想文なのがこの本の良いところ。
アートがぐっと近くなる本。




  アートは、
  凝り固まった価値観をひっくり返してくれるもの。
  理解や理屈じゃなくて圧倒されるもの。
  未知との遭遇が体験できる装置のようなもの。
  昨日見たテレビとシンクロしてる、
  なんて偶然が現実にネジ込まれる瞬間だったり、
  身体や心や脳を
  いつでもフレッシュな状態でいさせてくれるものが
  アートなんじゃないかと思う。
  それは、
  アート・ピースでなくても、
  デザインだったり小説だったり映画で
  感じることもあるわけで、
  琴線に触れる時には
  ジャンルが何かなんて関係ない。
  だけど、
  その感覚をキャッチできなければ
  意味がないとゆーか、
  その感じがアートと接触したことなんだと思う。
  そして、
  ペインティングだ、
  映像だ、
  といった表現方法にこだわりを持つ人もいるけど、
  頭の中で渦巻く思いを
  一番伝えやすい「道具」ってぐらいの認識で
  いいんじゃないかとも思う。

  カオス(混沌)とコスモス(世界)とオスモーズ(浸透)で
  『カオスモーズ』というのがあるけど、
  本企画は、
  カオス(混沌)とコスモス(秩序)で
  『カオスモス』なんですね。
  つーか、
  コスモスは、“世界”であり“秩序”である。
  世界は遠い場所のことではなく、
  あたしたちが世界そのものであって、
  絶対的価値がない時代には“秩序”も自分たちの手に委ねられ。
  そして昨日も今日も明日も、
  いろいろな世界や秩序がそこらじゅうで生まれるわけで……おっかないけど面白い。
  そしてこれはアートにとっての醍醐味だよねん。
  (「カオスモス’05/辿りつけない光景」)

Kiki20081219


<内容>
アート・バブルなんてどこ吹く風! 
気鋭のライターによる00年代現代アートカルチャーのハードコア・ウォッチング。
村上隆、会田誠、宇川直宏、束芋、Chim↑Pomなどを論じた「感想文集」。

| | コメント (0)

2008/12/17

縁切り神社

En20081216

「縁切り神社」★★★☆☆
田口 ランディ (著)



短編集。
「再会」
「悲しい夢」
「アイシテル」
「夜桜」
「夜と月と波」
「縁切り神社」
「世界中の男の子をお守りください」
「島の思い出」
「どぜう、泣く」
「恋人たち」
「エイプリルフールの女」
「真実の花」
収録。

実にシンプルに言葉少なに核心を突いている。
これらをそれぞれ長くして長編として読んでみたい。

「島の思い出」は「ひかりのあめふるしま屋久島」と照らし合わせて読むとおもしろい。

今度京都に行く機会があったら絶対「縁切り神社」に行くんだ。


 他人の悲しみを感じるのは、自分のなかに相似形の悲しみが存在するからだ。失恋し
て相手が去って悲しいのは、実はかつて似た痛みを私が経験しているからだ。あらゆる
感情にはひな形がある。それがいつできたのかわからない。生まれ出る前の異世界の記
憶なのか。人間の集合的無意識なのか。
 だから、他者によって痛みを感じることは、実は自分のなかの痛みに気づいてあげる
ことなんだ。自らの痛みに気づくために、人は人と出会い、恋をして、そして別れてい
くんだ。そんなふうに思うようになった。
 なぜなら、私は自分の痛みに気づかない限り、永遠にその痛みから逃れることもでき
ない。
 誰かと繋がってしまって、否応なく苦しんでいる者たちについて、私は書きたいと思
う。その痛みこそが、実は自ら癒えるための光なのだと、信じているから。
(あとがきより)



  「思春期の感受性の鋭い少女たちは、
  まだ自我が確立していないため、
  ショックな出来事に触れると
  あたかも自分に起こったことのように感じてしまうのです。
  それが連鎖反応を起こし、
  しまいには集団ヒステリー状態になるわけです。
  一時的なものです」
  (悲しい夢)

  どうして人間は、
  せっぱつまると一か八の決断しかできなくなるんだろう。
  いくつもの方法があるはずなのに、
  あるに決まっているのに。
  でも、
  今この瞬間がものすごく苦しいと、
  別の道を探す余裕がもてないのだ。
  苦しみだけが永遠に続くように錯覚してしまう。
  第三の方法を求めてさまようくらいなら、
  白か黒かはっきりさせて、
  自分を殺してでもこの現状から逃れたいと思う。
  でも、
  そういう決断は、
  自分にとっても家族にとっても、
  いい結果を生まない。
  みんながお互いの首を締めあうのだ。
  わかってるけど、
  いつ果てるともない心の悩みを生きることが、
  できなくなるときが人にはある。
  あのときの私はそうだった。

  「見えました。
  何かから逃れている人は、
  最初はみんな下ばかり見て歩くんです。
  屋久島にいるのに、
  心は別のところにある。
  森を見ているようで森を見ていない。
  でも、
  だんだんそれじゃあすまなくなる。
  だって足下ばかり見ていたら山は登れませんから。
  どうしたって行きて歩くために顔を上げないといけなくなる。
  それで、初めて森を見るんです」
  (島の思い出)




内容(「BOOK」データベースより)
京都の奇妙な神社に迷い込んだ私は、一枚の絵馬に気づき、ぞっとした。
「水野季実子と深田拓也の悪縁が切れますように」—水野季実子とは、まさしく私。
深田拓也とは、私が一カ月前まで付きあっていた男。
いったい誰が、なぜ…?
表題作「縁切り神社」他、男女のリアルで意外な一幕を描く傑作・恋愛小説集!文庫オリジナル。

| | コメント (0)

2008/12/16

彼が泣いた夜

Kare20081129

「彼が泣いた夜」★★★☆☆
内田 春菊(著)




私が絶対しないような、絶対出来ないような恋愛を作者は沢山してきたんだろうなあと読み取れる。
私は別れたオトコの顔を二度と見たくないタイプ。
「あ、ダメだ。」と思ったらもうダメなんだよね。
体が拒否反応を起こしてしまう。

こういう別れた後もダメオトコを無意識に引き付けてしまう引力を持った女性ってのは苦労するんだろうな。
主人公の女性はすごく苛々しているんだけど、仕草の端々で勘違いさせていることに気付かない。
生まれ持った才能なんでしょう。

男ウケは良くても女ウケが悪い女性をうまく描いている。
SEX描写からは匂いが漂ってくる。

そして、内田春菊の本はいつも装丁がすごく素敵。
今回は葛西薫氏のデザインです。




内容(「BOOK」データベースより)
思い出なんていらない、可愛いいのは今、仲よくしている男だけ—出逢いと別れにゆれるオンナのからだとこころを、
新鮮な言葉とリアルな感性で描く春菊ワールド最新長篇「彼が泣いた夜」。

| | コメント (0)

2008/12/15

ファッションファッショ

Fas20081213

「ファッションファッショ」★★★☆☆
山田 詠美 (著), ピーコ (著)




この二人って仲良しなんですね。
お尻を見せ合ったり。。。

ピーコはお気に入りの男の子にマーク・ジェイコブスの14万円のTシャツを買ってあげたり、山田詠美は編集者の男の子に
50万円のグッチのコートを買ってあげたりとブルジョワぶりがすごひ〜。

いやー、しかし毒舌だ。




  そういえば私、昔“シャネル・パーティー”というものに招ばれたことがあって、
  ホームパーティーなんだけど、
  何でもいいからシャネルをひとつ身につけてきてくださいというのね。
  当時私はシャネルを何も持ってなくて、
  でもまあいいやと19番の香水をつけて行ったんだけど、
  その時一緒に行った黒人のボーイフレンドは、
  そのパッケージのマークを切り取って、
  タキシードの胸ポケットにクリップしたの。
  「なんて格好いいんだコイツ!」って感動しちゃった。
  誰もがシャネルを着ていたんだけど、
  いちばんスノッブだったのは、彼だと思う。

  私、いくつかの文芸誌で文学賞の選考委員をやってるのね。
  そこで新人の子にトラディションを知らなければ、
  前衛の小説なんて書けないんだよ、
  ってよく言うの。
  トラディションを知らなければ、
  アヴァンギャルドのかっこよさなんて出しようがない。
  “崩し”は“基本”との対比で、
  はじめて成立するものでしょ?
  文章力のなさを、
  変に崩した文体でごまかせると思ったら大間違い!
  すぐにばれるんだから。
  (山田詠美)




出版社/著者からの内容紹介
オープントウの靴にストッキング、パーティドレスにバーキン、ゆるゆるのサッシュベルト、ジャストウエストのパレオ
——憎むべきアイテム撲滅のために、今日も二人は愛ある毒を吐き散らす。

| | コメント (0)

2008/12/14

誰がために熱血ポンちゃんは行く!

Pon20081214

「誰がために熱血ポンちゃんは行く! 」★★★☆☆
山田 詠美 (著)




月に十枚しか原稿を書かないというていたらく、
本読んでTV観て酒をかっくらって、
ジャマイカ旅行、ニューヨーク里帰り、レゲエ三昧、
究極のリアリズムの日記文学。




ポンちゃんシリーズ自分的メモ。

○:既読
△:持ってるけど未読
×:未読


×熱血ポンちゃんが行く!

○再び熱血ポンちゃんが行く!

○誰がために熱血ポンちゃんは行く!

△嵐ヶ熱血ポンちゃん!

△路傍の熱血ポンちゃん!

×熱血ポンちゃんは二度ベルを鳴らす

○熱血ポンちゃんが来りて笛を吹く

○日はまた熱血ポンちゃん

×ご新規熱血ポンちゃん

×熱血ポンちゃん膝栗毛




  私が嫌いなのは、自分を個性的であると自覚し、
  しかも、それを公言する人間である。
  そういうのは、個性的ではなく、
  単なる自意識過剰である場合が多い。
  自意識過剰とは、恥ずかしいことである。
  普通のセンスを持つ人は、
  この自意識を、
  どうやって、
  生活の中で解消させて行くべきかと心を砕くものであるが、
  お馬鹿さんは、それを長所と思い、公言するのである。
  「私って個性的だから」
  と口に出す人間を私は格好悪いと思う。
  個性的という言葉は、
  あくまで、自分以外の他者が使う言葉なのである。
  私は、という主語が付かない筈なのである。

  ところで、
  その格好悪い自意識というものを日夜弁解する人種の中に、
  作家というのがいる。
  彼らは、自分の内なる巨大な自意識が心の内で飽和状態になり、
  ついには表面張力を破壊して、
  流れ出し、
  言葉という結晶を作ってしまうのである。
  このことは、
  非常に恥ずかしいおもらし状態なのだが、
  仕方ないのである。
  失禁を抑えられない人種、
  それが作家である。




出版社/著者からの内容紹介
史上最強の傲慢(ゴーマン)ウーマンと進化したポンちゃんの好物は、旅と友達とお酒と……。
最高の快楽と至福の贅沢(ゼータク)を追い求め、天下無敵のエイミーズ・パーティ御一行様は、今日も世界を股に掛けて行く!
ジャマイカ、ハワイ、ニューヨークetc.と舞台もノン気に、あくまでマイ・ペースのポンちゃん、誰がために行く!?

| | コメント (0)

美女と野球

Bijyotoyakyuu20071111

「美女と野球」★★★★☆
リリー・フランキー (著)




ク  レ  イ  ジ  ー  !

リリーさんもそうだけど、リリーさんのまわりのひとのぶっ飛び具合もすごい。
色々な意味で勇気をもらいました。




  そして、この時期はちょうど新年度ということもあって、
  たくさんの人が上京して来て、
  東京中に嫌な活気が溢れてむせかえる。
  いつも思うことだが、「頑張る気持ち」には何種類かある。
  純粋に何かに頑張る気持ちは美しい。
  しかし道端で見かける「頑張る気持ち」のほとんどが、
  頑張っているのではなく、ただ低俗な野心を燃やしているだけだ。
  それを本人は「純粋に頑張る気持ち」と履き違えて目を輝かせている。
  それが狂人に見えるのだ。
  外灯にたかる蚋のように、ただ陽当たりのいい所だけに憧れているだけで、
  たとえそこで焼きつくされてもそれがチャレンジだと胸を張る。
  なのに、本質の部分へ飛んでいく勇気なんかは持っていない。
  持っていないならマシな方で、見えていない蚋がほとんどだ。
  人は根拠のない自信と自分に不釣り合いな野心に燃えている姿が一番醜い。
  世間で売れている本には闇雲にポジティブ・シンキングを薦めるモノが多いけれど、
  これほど無責任で誠意のない思想もないと思う。
  すべての人に個性と可能性があると言ってるくせに、
  そこで登場する「成功」とは常にひとつの世界でしかない。
  人が百人いたら百通りの「成功」があって、
  それが必ずしも陽当たりが良かったり、
  華やかであったりする訳ではないはずだ。

  ボクはいたく、傷ついた。


<レビュー>
好きなものは美女と野球。のんべんだらりんと、底の浅い濁流のような毎日。
タキシードを着て司会をし、双子の姉妹やコントの国の人に会い、レコード会社を作り、
オカンとオトンと三人で夜の東京タワーを見て…コク深くて笑いに満ちた、愛と哀しみのエッセイ集。

| | コメント (0)

2008/11/28

ハゴロモ

Hagoromo20081127

「ハゴロモ」★★★★★
よしもと ばなな (著)




自分が体験したことがないことを、自分が知らないことを、このように書けるよしもとばなな。
自分のことを一切書いた事が無いなんて、話が天から勝手に降ってくるなんて、
現代の巫女みたいな人だな。
それで人を癒すのだから。




  十八の時から八年間も長く長く続いた愛人生活が終わったことに、
  私はまだ驚いていた。
  いつまでたっても、別れたことに慣れなかった。
  長さというものは、それ自体がひとつの生命を持つような感じで、
  いつのまにか思わぬ大きさにふくれあがっている。
  そのせいかいつでもなんだか不思議な疲れかた
  ・・・・・・まるで深い肩こりがなかなかとれないような感じで疲れていて、
  いつでも同じことをぐるぐる考えていたのですっかり頭も悪くなってしまったようだった。
  仲のいい両親の子供は世界を疑うことを知らないで育つことが多い。
  私のように。

  祖父と手をつないでいると、空と地面がぐんと近くなって、手に汗をかいた。
  多少恥ずかしくても、母の死におびえた子供の心は、その手をふりほどくことはなかった。
  祖父がいつか死んだとき、後悔したくない、と私は思っていた。
  手に汗をかいても、その時気恥ずかしくても、思い出がせまってきて苦しくても、
  後で思い出せば絶対に大切なんだ、と思っていた。
  そういう心配りに関しては、子供の心のほうがずっと繊細だった。

  「私は、ずっと変わった子と言われていたから、
  誰か変わった子がいても理解してあげられる環境を作りたかったの。
  忙しいけど、毎日いろいろあって面白いよ。
  体を使う仕事だから、気持ちいい疲れかただし。
  あまりにも子供と仲良くなりすぎると、お母さんたちがやたらにやきもちを焼くのも面白い。
  子供は、楽しくて落ち着いたものが大好きなんだよ、
  でもお母さんたちは、その反対の人が多いの。
  特に迎えに来るときは、すごくあせっているからね。
  好かれるこつはそれだけなんだけれどね。」

  私もプロではないので、確かなことは言えないけれど、
  今、彼女はふたつに分裂していて、
  ひとりはもうこのまま死んでしまいたい、というふうに思っているの。
  でももうひとりはその中で、すごくしっかりしていて、
  自分のしていることがよくよくわかっていて、
  ただきっかけをつかみたくてもがいている。
  そう思える。

  みつるくんのえらいところは、
  治らないお母さんをじゃまにしないで、
  今のお母さんとそれなりにつきあっているところだった。
  その境地は私にははかりしれなかった。
  普通だったら、治っている状態が本当だから、
  一日も早く、自分の都合のためにもそこに近づいてほしいという気持になるだろう。
  でも、彼はそうではなくて、せかす様子がまるでない。
  むしろ、これはこれでいいといった風情があった。

  そして突然、わかった。
  私は失恋してかわいそうな感じで東京を追われてきたので仕方なくここにいるわけではなくて、
  今、ひまだし好きこのんでここにいるのだ、
  そしてこれからもどこにいたっていいのだ、ということが。
  そうしたら、私をしばっていた鎖がまたひとる切れたのがよくわかった。
  重力から解き放たれ、一瞬、きれいな高みから世界を見おろす。
  「これこそが治癒の過程だわ、本でも書こうかしら・・・・・・。」




内容(「BOOK」データベースより)
失恋の痛みと、都会の疲れをいやすべく、ふるさとに舞い戻ったほたる。
大きな川の流れるその町で、これまでに失ったもの、忘れていた大切な何かを、彼女は取り戻せるだろうか…。
赤いダウンジャケットの青年との出会い。冷えた手をあたためた小さな手袋。
人と人との不思議な縁にみちびかれ、次第によみがえる記憶—。
ほっこりと、ふわりと言葉にくるまれる魔法のような物語。

| | コメント (0)

2008/11/24

子供ができました—yoshimotobanana.com

Kodomo20081123

「子供ができました—yoshimotobanana.com」★★★★☆
よしもとばなな (著)




この人はほんとうに命をかけて、プライドを持って小説をかいているんだなあと思いました。

  ****************************************************************************
  人から見たら、小説は読まれ、親はかろうじて生きているし、結婚もしているし、健康で、さらに妊婦。
  なんと恵まれ、豊かな環境にいると思われても仕方ないし、実際そうだろう。
  だから他人にも優しくしてあげなさいということなのだろう。
  でもそれに甘んじていては、小説がだれる。
  その上、私の人生はいつも地獄だったし、それは今でもそうだ。私にとっては生きているだけで地獄なのだ。
  それはどの状況でも変わらない。
  これは説明する気もないし、人それぞれの問題なので、多くを語る気はない。
  表に出して甘える気もない。
  ただ、その地獄の中にもほんの少しの光や希望がある。
  ちょっとした憩いのひとときもある。
  また、何よりもこの地球や自然やその一環としての人というものが、私をひきあげてくれることがある。
  だから、生命を全うしたほうがいいよ、というのが、私のいつも書いていることだ。
  つまり、いつでも遺言みたいなものだと思う。
  遺書をおろそかにする人には、決して手渡したくない。
  ただそれだけのことだ。
  おろそかのレベルは人それぞれだが、そのレベルが違う人にはたくせない。
  正直言って、ゲラや原稿に触ってほしくないし、運んでほしくもないくらいだ。
  自分の作品はすばらしいとは思わない。
  ただ、一度しか書けない心のこもったものだというのは確かだ。
  食べるためにでも、人のためでも、家族のためでもなく、ただ、天から来たものを人々にお返ししているだけだ。
  ****************************************************************************

最近、麻薬体験をエッセイによって吐露する作家を何人か知りましたが、よしもとばななもそのひとり。
小説家や芸術家が過去に麻薬経験ありと知っても偏見がありませんが、俳優やアイドル、イメージで売っている人
だと社会の偏見がすごくて、職業イメージっておそろしいなと思いました。




  昨日も質問のコーナーで
  「日記を見ると毎日とても楽しそうに見えて、とても地獄とは思えない」
  という素直でいい感じの質問があった。
  そうか、やっぱりものごとを額面どおり取ってくれる人っているんだな、
  だから最近よく、幸せそうとか安定していると言われるんだなあ、といい意味で(本当ですよ)感心した。
  まず、文の技術で言えば、全く同じ内容、同じ一日、同じできごとを・・・・・
  たとえば「今日はディズニーランドへ行きました」というのを
  「とても楽しかったバージョン」
  「人生の喜びを抽象的に表すバージョン」
  「最悪、自殺寸前バージョン」
  「冴えないバージョン」
  「平凡バージョン」どれで書けと依頼されても、
  嘘を書くこともなく、実際にあったことだけのデータですらすら書ける。
  それは、作家なら誰でもそうだと思う。
  やれと言われれば、そのくらいの技術、プロならみんなあるだろう。
  誰が、どの視点を誠意を持って選んでそれを好きこのんで描くか、
  それだけが違いとか個性とか呼ばれるものなのだと思う。
  そういう意味では、真実など、この世にはないのだと思う。
  ただ、その書き方でも掘り下げれば、何かしら真摯なものが生じる。
  それを、作家たちは目指しているのだろう。

  作家で、生き方に追い詰められて小説を書いていない人って、いんちきだと思う。

  そして、私は本当に引越しとか契約とかガスだとか水道だとかなんだとか、
  そういう変化が苦手なんだなあ、ほとんど病気だなあ、とわかってきた。
  奈良くんと同じ病気だ。
  これは、世間では甘えと見られるが、本当に心の病だ。




内容(「BOOK」データベースより)
妊娠届けを提出したが、なかなか気の休まる日はこない。うんざりするテレビのニュース、仕事上のトラブル。
胎児の画像を見て感動する。人生のペースを落とし、自分のからだの声を聞こうと思う。
冷え、ぎっくり腰、犬の急病、食あたり、仕事場の引っ越し。妊婦を次々に襲う試練の数々。
公式ホームページの日記と Q&Aを文庫化する第三弾。「けんかの仲直りの仕方」も伝授。

| | コメント (0)

2008/11/23

日々のこと

Hibinokoto20081121

「日々のこと」★★★☆☆
吉本 ばなな (著)




一週間ほど寝たきりの生活を送っていたのですが、やること(できること)と言ったら、
睡眠、飲食、排泄、読書、ゲーム、インターネットでした。
その中でも読書がすすみ、11冊の本を読了しました。
よしもとばななの本は3冊。
「日々のこと」と「子供ができました」と「ハゴロモ」
もし、これから先、入院や自宅療養が必要となった方と接する機会があったなら、
よしもとばななの本を差し入れすることに決めました。
こころからじわじわとからだの芯まで回復していく気がするのです。

「若気のいたり」と題したあとがきにはこう綴ってあります。

*********************************************************************
 この本に出てくる、この素人くさく根性もなってない文章を本当にこの私が書いたのだろうか。
そう思うとすごい成長だ。我ながら自分の成長を誉めてあげたい気持ちになった。それに決し
て憎めない。私の新人時代にもこういう子供らしいかわいいところがあったのだなあ、と思う。
特徴としては、
1、気をつかって思ってもいないことを沢山書いてある。
2、わけのわからない複雑な人間関係にてんてこまいしているが、それを悪くとらないように
努力している。
3、文章の練り方が甘く、テーマも素人並みにしぼりこめていない。掲載誌や登場人物を意識
するあまり、意見が中途半端で読んでいるほうは面白くも何ともない。
 というようなことだろうか。人間は歳と共にシンプルになる。今はこのような文章を書いている
心の余裕も、こんなわけのわからない人付き合いをしているひまもない。ここに出てくる人たちは
今もいい人たちだしほとんどが交流もあるがそういう問題ではない。私の甘えが見えてくる。
私はきっと苦しかったのだろう。誰かの家にころがりこんで守ってもらいたかったのだろう。しかし、
そうはいかない。私のいる所はどこであれいつも私の家なのだから、逃げることはできないのだ。
この頃の私はそれに気付いていない。そして、新人だからといって、遊び心で仕事を引き受ける
べきではない。全く、傲慢である。これを若気のいたりというのだろう。しかしこの成長こそが人生
のダイゴ味だ。この頃の気の毒な私があってこそ、今の私がいるのだから。そして今の私も、魂的
には全くこの頃と変わっていない。どんどん余力なものがなくなり。素になっているだけだと思う。
自分も文章もどこまでそぎおとしていけるか、一生かけてとりくみたい。
*********************************************************************

本文よりもあとがきの方がおもしろい。
しかし、本文(日記)を読んでからでないと、あとがきが引き立たない。
才能が開花されるまでの成長過程が読めて得した気分です。

作家の日記がリアルタイムに読めるって贅沢ですねえ。
http://www.yoshimotobanana.com/diary/



  「あの人の愛とか人生のとらえ方はどうなっているんだろう。」

  痛みというのは入って行くと奥深くて、何だか少し甘いのだ。

  「最近の若い奥さんはまるで肉屋にソーセージを買いにいくように気軽に浮気をする。」
  (瀬戸内寂聴)
  という表現をなさったのには感動した。冗談とかじゃなくって、この表現力はすごい。
  ほんのひとことなのに文章のひだが細かく、奥深く、ペーソスもあり、ウィットもある。
  さすがだ、この人は作家なんだなあ、と心から感じた。

  あなたはスキーをはかずにリフトを下に向かって降りたことがあるか?
  多分ないでしょう。
  リフトは人々を山の上に運ぶもの、そして人々はスキーで山の下へ降りて行くのです。
  大感動。
  あたりはとっぷりと暗く、遠近が失われた世界。
  そして、眼前にはいちめんにせまって来るような夜景の海。
  光の洪水。
  自分は小さな椅子にすわり、
  しっかりと棒をにぎりながらまるで空を飛んで夜景の中に降りて行くようでしたよ。
  ゆっくりと、舞い降りるような速度で。息をのんだ。
  あの雪と、暗い山々の中をむき出しの身ひとつで落ちて行ったからこそ、あれほど良かったんだろう。
  私と、ひとつの前のリフトに乗っていたKくんは大声で
  「すごい、すごい」と言い合った。
  ロープウェイではありえない生の光景だった。すべてがにじむように美しかった。
  私は、
  「う〜ん、これは使える。いつか必ず小説に使ってみせる。すごすぎる。でも寒い。」
  と思っていました。




内容(「BOOK」データベースより)
ウェイトレス時代の店長一家のこと。初体面の女子大生とその母親と行った「お風呂の国」。
恋人と行ってひどい目にあった京都の宿。女ばっかり3人の香港旅行。
電気屋さんに聞かされた友人の結婚話…。
強大な「愛」のようなものがまわりにあふれかえっていた20代。
人を愛するように、日々を大切に想って描いた名エッセイ。

| | コメント (0)

2008/11/20

羊をめぐる冒険

Hitsuji20070806

「羊をめぐる冒険」★★★★★
村上 春樹 (著)




読む順番が前後しましたが、
これで「僕と鼠もの」シリーズ(風の歌を聴け/1973年のピンボール/羊をめぐる冒険/ダンス・ダンス・ダンス)を読了。

女の子の「耳」が気になるようになってしまった。
当分は魅力的な耳探しを意識的にするんだろうな。




  —昔、あるところに、誰とでも寝る女の子がいた。
  それが彼女の名前だ。

  彼女は笑って煙草を灰皿につっこみ、残っていた紅茶を一口飲み、それから新しい煙草に火を点けた。
  「二十五まで生きるの」と彼女は言った。「そして死ぬの」

  一九七八年七月彼女は二十六で死んだ。

  彼女は二十一歳で、
  ほっそりとした素敵な体と魔力的なほどに完璧な形をした一組の耳を持っていた。
  彼女は小さな出版社のアルバイトの校正係であり、
  耳専門の広告モデルであり、
  品の良い内輪だけで構成されたささやかなクラブに属するコール・ガールでもあった。
  その三つのうちのどれが彼女の本職なのかは僕にはわからなかった。
  彼女にもわからなかった。

  「漠然とした動機に基いた、凝縮された現象」

  「つまり、あなたの人生が退屈なんじゃなくて、
  退屈な人生を求めているのがあなたなんじゃないかってね。
  それは間違ってる?」
  「君の言うとおりかもしれない。
  僕の人生が退屈なんじゃなくて、僕が退屈な人生を求めてるのかもしれない。
  でも結果は同じさ。
  どちらにしても僕は既にそれを手に入れているんだ。
  みんなは退屈さから逃げ出そうとしているけれど、
  僕は退屈さに入り込もうとしている、
  まるでラッシュ・アワーを逆方向に行くみたいにさ。
  だから僕の人生が退屈になったからって文句なんて言わない。
  女房が逃げだす程度のものさ」

  「希望というのはある限定された目標に対する基本的姿勢を最も美しいことばで表現したものです。もちろん」

  誰かが書いていたように、
  長い放浪生活に必要なものは三つの性向のうちのひとつであるのかもしれない。
  つまり宗教的な性向か、
  芸術的な性向か、
  精神的な性向かだ。
  そのどれかがなければ、長い放浪は存在しないということだ。

  時間というのはどうしようもなくつながっているものなんだね。

  いや、こういう文章は少しパセティックにすぎるな。
  考え方としてはちっともパセティックじゃないんだけど、文章にしてしまうとパセティックになる。

  「窓口はひとつにしておきたいんですよ。責任の所在をはっきりさせるためにもね」

  「君は思念のみが存在し、表現が根こそぎもぎとられた状態というものを想像できるか?」
  と羊博士が訊ねた。
  「わかりません」と僕は言った。
  「地獄だよ。思念のみが渦まく地獄だ。
  一筋の光もなくひとすくいの水もない地底の地獄だ。
  そしてそれがこの四十二年間の私の生活だったんだ」



081109_001


<レビュー>
野間文芸新人賞受賞の青春三部作の長篇。僕と鼠のラスト・アドベンチャー。
鼠から来た北海道消印の葉書から、僕は、すべてをすてて鼠を探す旅に出る。
羊博士、ドルフィンホテル、羊男の哀しい青春の終り。

| | コメント (0)

2008/11/19

哀愁的東京

Ai20080909

「哀愁的東京」★★★★★
重松 清 (著)



クリエイター、アーティスト気質な主人公の物語を読むと、びんびんとアンテナに引っ掛かるものがある。

第一線からの退場、人生のピークからの退場、静かに深い傷を負った人たちの物語。


熱烈的歓迎
猛烈的反省
寛大的和解
明朗的奮闘
孤独的日常
惰性的毎日
自由的米国
冷蔵庫的寒冷
困難的数字
得意的料理
困惑的再婚
祝福的再婚
幸福的再婚
回想的東京
哀愁的東京


“ ひととひととの関係で、それが男と女ならなおさら、あらすじだけで話せるものなど、なにもない。”

格言的な一文。



  うんと寂しくて哀しい物語は、
  時として滑稽でもあるだろうし、
  時としてささやかな幸福の光も放つかもしれない。

  僕はビア樽氏に殴られて、絵本を書けなくなった。

  少年でもあり、少女でもあり、こどもでもあり、おとなでもある—そんな足し算では描けない。
  少年でもなく、少女でもなく、こどもでもなく、おとなでもない—引き算をしたあとに残るものが、ヒロミだ。

  「後ろめたさが欲しいんだ、あのひとは。
  やっちゃいけないことをやってるんだっていう、
  でもやりたいんだっていう、
  屈折したところにエロスがあるんだと考えてるんだよな。
  それが週刊誌のエロスなんだ、って」

  「内側から、紫、藍色、青、緑、黄色、オレンジ、赤だ」

  「テレビは怖いですよね。
  魔法をかけちゃうんです、蜃気楼を見せちゃうんですよ、
  かなうはずのない夢がすぐ目の前にあるように…
  思い違いをさせるんです」

  「僕はもう、誰にも魔法をかけたくないんです。
  永遠に解けない魔法なんてないでしょう?
  いつか現実に戻らなきゃいけないんだったら、
  最初から現実を教えてあげたほうがいいんです。
  ドキュメンタリーで撮るのは芸能人じゃないんですから。
  それぞれの現実を生きているひとを、
  ほんのひととき『テレビに出たひと』にする、
  ドキュメンタリーの仕事はそれだけで、
  それ以上のことをする権利なんてないんです。
  ねえ、進藤さん、違いますか?
  僕の考え、間違ってますか?」

  赤く血走った目が、さらに強く僕を見据える。
  ヤバいな、と思う。
  この仕事を二十年近くつづけていれば、
  精神的に追い詰められてしまったひとと向き合う機会も、否応なしに増えてくる。
  取材相手よりもむしろ同業者やカメラマンやデザイナーやイラストレーターや編集者と会っているときに
  「ああ、こいつヤバいな」と感じることが多い。
  因果な商売だ。

  「進藤がゼロからつくりあげたってわけだ。やっぱり、いい仕事だよなあ。うらやましいよ」
  感に堪えたように言った高橋は、コーヒーをもう一口飲み、ため息とともに肩を落として、
  「俺は逆だよ」と吐き捨てた。
  「どんどん自分がゼロになっていくのがわかるんだ、最近」
  滅私奉公—古めかしい言葉を持ち出して、
  「昔のひとはいいこと言うよな、ほんとにさ、滅私奉公なんだよ。自分がなくなるんだ」と言う。
  「それもあるけど…仕事だけじゃないな、
  なんかもう、生きてることがぜんぶ、滅私奉公なんだよな。
  磨り減るんだ、自分が。もう、ゼロ寸前なんだよ。
  俺ってどんな奴だったっけ、俺はいったい誰なんだろうな、ってな」

  <某>の文字に、目が吸い寄せられる。
  某月某日の某、某氏の某—名前を持たない、ナニガシ。
  どこの誰でもなく、そして、どこの誰でもいい、ナニガシ。

  悲しい記憶は、静かに薄れ、やがて忘れられていく。
  「忘れる」という能力を人間が授かったのは、
  もしかしたら、この世界には「忘れたい」出来事が多すぎるから、
  と神さまが見抜いていたせいなのかもしれない。
  ものを書いて残すというのは、それに抗う罪深い営みなのかもしれない。

  「性善説ってのは他人にしか向けちゃだめなんだよ。それを自分自身に向けたら、呼び方が変わるんだ」
  春木デスクはそこで言葉を切り、たっぷりと間をおいて、つづけた。
  「甘ちゃん、ってな」


出版社/著者からの内容紹介
週刊誌のライターで生計を立てている絵本作家が主人公。作者自身を重ね合わせたかのような、ライターとしての多忙な日々と、
絵本作家としての作品が書けない日々。元ITビジネスの旗手、落ちぶれたアイドル歌手、年老いたSM嬢、ホームレスの夫婦…
彼が出会い、見送ってきた「東京」が描かれる。
直木賞作家が『ビタミンF』でもなく『エイジ』でもない、新しい世界を描いた、連作短編集。

| | コメント (0)

2008/11/18

人間失格・桜桃

Ningen6020080303

「人間失格・桜桃」★★★★★



わからない わからない わからない
葉蔵はこれを、胸の中で幾度も唱える。
それは葉蔵の無意識なのか、それとも、太宰の意図的なものなのか。
道化となって転落してゆくのは葉蔵か太宰か。

太宰の読点の打ち方が好きだ。
そこに絶望が滲み出ているから。
退廃の美しさを知る。



  恥の多い生涯を送って来ました。

  おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、
  内心は必死の、
  それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、
  油汗流してのサーヴィスでした。

  「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を画くよ」

  学校の図画のお手本はつまらないし、
  先生の絵は下手くそだし、
  自分は、全くでたらめにさまざまの表現方法を自分で工夫して試みなければならないのでした。
  中学校へ入って、自分は油絵の道具も一揃い持っていましたが、
  しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風に求めても、
  自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺりして、
  ものになりそうもありませんでした。
  けれども自分は、竹一の言葉によって、
  自分のそれまでの絵画に対する心構えが、
  まるで間違っていた事に気が附きました。
  美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。
  マイスターたちは、何でも無いものを、主観によって美しく創造し、
  あるいは醜いものに嘔吐をもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、
  表現のよろこびにひたっている、
  つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、
  画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、
  れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像の制作に取りかかってみました。

  日陰者、という言葉があります。
  人間の世において、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、
  自分は、自分を生れた時からの日陰者のような気がしていて、
  世間から、あれは日陰者だと指差されているほどのひとと遭うと、
  自分は、必ず、優しい心になるのです。
  そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。

  もともと、非合法の興味だけから、そのグルウプの手伝いをしていたのですし、
  こんなに、それこそ冗談から駒が出たように、いやにいそがしくなって来ると、
  自分は、ひそかにPのひとたちに、それはお門ちがいでしょう、
  あなたたちの直系のものたちにやらせたらどうですか、
  というようないまいましい感を抱くのを禁ずる事が出来ず、逃げました。
  逃げて、さすがに、いい気持はせず、死ぬ事にしました。

  「あら、たったそれだけ?」
  無心の声でしたが、これがまた、じんと骨身にこたえるほどに痛かったのです。
  はじめて自分が、恋したひとの声だけに、痛かったのです。
  それだけも、これだけもない。
  銅銭三枚は、どだいお金でありません。
  それは、自分が未だかつて味わった事の無い奇妙な屈辱でした。
  とても生きておられない屈辱でした。
  所詮そのころの自分は、まだお金持ちの坊ちゃんという種属から脱し切っていなかったのでしょう。
  その時、自分は、みずからすすんでも死のうと、実感として決意したのです。
  その夜、自分たちは、鎌倉の海に飛び込みました。
  女は、この帯はお店のお友達から借りている帯やから、と言って、
  帯をほどき、畳んで岩の上に置き、
  自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、
  一緒に入水しました。
  女のひとは、死にました。
  そうして、自分だけ助かりました。
  自分が高等学校の生徒ではあり、
  また父の名にもいくらか、いわゆるニュウス・ヴァリュがあったのか、
  新聞にもかなり大きな問題として取り上げられたようでした。

  漫画家。
  ああ、しかし、自分は、大きな歓楽も、また、大きな悲哀もない無名の漫画家。
  いかに大きな悲哀があとでやって来てもいい、
  荒っぽい大きな歓楽が欲しいと内心あせってはいても、
  自分の現在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を飲む事だけでした。


Dazai20080303


<レビュー>
昭和23年(1948年)6月13日夜半、太宰治は愛人山崎富栄とともに玉川上水へ身を投じました。
降りしきる雨の中の捜索・・・入水から1週間後の6月19日早朝、投身場所から2キロほど離れた、井の頭公園万助橋下流
にて二人の遺体は発見されます。

6月19日—奇しくもその日は太宰治39回目の誕生日でもありました—

彼のお墓は生前彼が願っていた、三鷹市にある黄檗宗禅林寺内、森林太郎(鴎外)のお墓と向かい合わせに建てられてい
ます。

ちょうど桜桃(さくらんぼ)が赤く熟する時季であり、彼の死の直前の傑作短編『桜桃』にちなんで、6月19日は「桜桃忌」と
名づけられ、毎年多くのファンが太宰を偲んで禅林寺を訪れます。

私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。
食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾
りのように見えるだろう。しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、
食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。
—角川文庫『桜桃』より

| | コメント (0)

2008/11/06

ひかりのあめふるしま屋久島

Yakushima20080916

「ひかりのあめふるしま屋久島」★★★★★
田口 ランディ (著)


そうか、屋久島は「もののけ姫」の森なのか。
それは行かなくては。

観光コースしか行かない観光客で終わりたくないので、私も屋久島野外活動センター(YNAC)のお世話になって自然と
同調したい。


  「なにこれ、この景色。こんなきれいなもん、一人で見せられたって困るよ」
  私は独り言を言いながら、景色の前でおろおろしてしまった。
  だってだって、こんな美しいものをたった一人で見るなんて、孤独すぎる。」

  過去の私を知っていた友人は、趣味の変貌ぶりに驚きもものきである。
  だって、それまで私は完全な文系人間で、不健康な大酒飲みで、
  しかも心理学などというジトジトした学問を勉強してきたのである。
  いま思うと、私は人間の心の深遠を覗き込むことに飽き飽きしていたのかもしれない。
  「ひたすら心をつきつめていっても、心には至れない」
  そんな限界を感じていたのだ。
  だったら、どんな入り口からなら心にたどり着くのか?
  無意識のうちにその答えを「自然」に求めていたような気もする。

  「きれいな川だなあ、魚はいるのかな?」
  「屋久島の川は、水がきれいすぎて微生物が少ないんです。
  だから、魚もあまり棲めません。水鳥も少ないんです」
  「へ〜、魚も棲めないほど棲んだ水なのか。じゃあ、もしかして飲めるんですか?」
  「もちろん飲めますよ。森の中ならどこの水でも飲めます」

  「そうだ。人間の体には音がある。
  その音を、母親の腹の中にいる間中、ずっと聞いているんだ。
  肉体はひとつの宇宙だ。
  ざあざあと力強い滝のように流れ落ちる大動脈。
  岩走るせせらぎのような大静脈。
  そして、今、お前が聞いた太古のドラムのような心臓の鼓動。
  それらの音が、こうして水音を聞いていると蘇ってくる。
  命のリズムだ」

  ガジュマルの種は鳥の糞とともに運ばれる。
  ある日、偶然にとある樹の上にぼとりと糞が落ちたとしよう。
  やれやれ。
  ガジュマルはその樹の枝の上で「ちょいとお邪魔しますよ」と発芽するのである。
  ガジュマルは居候しながら生長し、地面に向かって気根という細いヒゲのような根を伸ばし始める。
  気根は何本も何本も出てきて、一心不乱に地表を目指す。
  そして、地面に着いたとたん、ものすごい勢いで栄養分を吸い上げ、急生長するのだ。
  気根が地面にたどり着いた瞬間から、居候は殺し屋に豹変する。
  さらに気根の数を増やし、分岐し、交差させ、
  ついには宿主の幹を網目状に取り囲んでしまうのである。
  その頃には樹冠は宿主よりも大きくなり、どんどん葉を茂らせ光合成を行う。
  宿主の樹の方はいい迷惑である。
  日が当たらないし、ぎゅうぎゅう幹を締めつけられて水分を吸い上げることもできない。
  あわれ宿主はついに枯死してしまう。
  かくして、ガジュマルは空洞で網の目の幹をもった姿となって生き残るのだあった。

  「イチジクってどう書くと思います?」
  「よくぞ聞いてくれました。“無花果”でしょう?イチジクは花が咲かない植物なんですよね」
  得意になって私は答える。
  「なんで、花が咲かないのに実がなるんでしょうか?」
  う・・・。言われてみれば確かにそうである。
  なんでだろう、考えてみたこともなかった。国語辞典には書いてなかったぞ。
  「イチジク類の実を割ってみると、中から小さな黒い蜂が出てくることがあります。
  この蜂こそ、イチジクと共存している“イチジクコバチ”です。
  イチジクコバチは、イチジクの実の中で生まれて、イチジクのためだけに一生を終えます。
  よってイチジクコバチのおかげで、実の中で受粉できてしまうのです」

  「クマノミっていうのは性転換するんです。子供は全部、オスとして生まれます。
  その中で一番大きい個体がメスになるんです」
  「へ〜」
  「2番目に大きいオスが、メスと結婚して夫婦になります。
  クマノミは一夫一婦制なんです。
  人間みたいに一夫一婦制の魚はすごくめずらしいです。
  そして、ひとつのイソギンチャクは一組の夫婦しか棲むことができません」

  「まず、潜るためには手は必要ありません。手の力なんて何の役にも立たない。
  足も潜ったあと一蹴りするくらいで十分です。
  だから問題は、いかに垂直に逆さまになるかです。
  でんぐり返るくらいの気分で、頭を逆さまにしてごらんなさい。そうすれば、体が勝手に沈みます」

  自然に目覚めた女って、あんまり男を必要としなくなるんだよ。
  孤独であることの楽しさを、世界から教えてもらうから。


内容(「BOOK」データベースより)
「私が自然に興味を持ち出したのは30歳を過ぎてからだった。それまで、アウトドアなどというものにはまったく興味がなく、
毎晩ネオンの海にダイブして二日酔いの頭に迎え酒」—仕事に疲れ、海と森と川以外には気のきいたものは何もない屋久
島にやってきた著者は、美しい自然や不思議な出会いによって運命が激変した。魂の物語に誘う旅エッセイ。

| | コメント (0)

その他のカテゴリー

Art | Book | Cooking | Food | Hot spring | Movie | Music | Pet | Shopping | Travel